家出

 昨日昼過ぎから熱が出て、38・1度と38度ラインを超えたので、レスキューで貰っている解熱剤を飲んで熱を下げる。 夜になってベッドへ入ったのだが、夜中に悪寒がして目が覚め体温を測ると38・2度。 タオルケットで身を包んでいたが下がる気配はなく、再び量ると38・6度、再度解熱剤を使う。 何でここへ来て突然熱がでたのかよくわからない、それがやや不安である。

 前回に続き田舎での話を書く。40歳を過ぎてから、土地を求め家を建ててそこへ引っ越した。 引っ越した先の部落は戸数はせいぜい三十軒弱の小さな部落で、そこの外れに家を建てた。その部落での話であるが、おそらく今から50年ほど前の昭和30年代頃の話ではないかと思う。 オフの家から外へ出ると四軒の家が見えるが、その内の一軒の家の嫁さんが男としめし合わせて家を出た。 その相手の男というのが同じ部落の街道沿いにある家の妻も子もある男だということだった。 狭い部落のことだから多分大騒ぎになってその話で持ちきりなっただろう。 ところが二人の居所はすぐにわかった。 10キロも離れていない隣の町でアパートを借りてそこに住んでいたのだった。 簡単にわかったのは二人とも仕事を持っていて勤めに出ていて、その職場を辞めていなかったからである。 多分いろんな人が立ち代りアパートへ行って二人に戻るように説得しようとしただろうが、どう言われようと二人は首を縦に振らなかったという。ところが数ヶ月か一年後かわからないが、ある日二人はそれぞれ自分の元の家に戻ってきた。 おそらく両家では出て行ったとき以上のゴタゴタした騒ぎが持ち上がったことだろうと思う。それからしばらくして家を出た嫁さんがどうやら妊娠しているようだと噂がたった。その通りでその嫁さんは数ヵ月後男の子を生んで、その子を旦那との間に出来た家の子として育て始めた。 また噂が立った、旦那は種無しだというのである。 それに対してその噂の当人はとくに否定もしなかったので、そういうことになった。 一連の騒動はそこまでで、また部落はもとの静けさを取り戻した。 部落の中には昔の話をいまだに影でゴチャゴチャ言う人(女)がいるのである。 もっともそんな人がいたからこそオフもこの話を知ったわけだが・・・。 部落の大概の人たちは済んでしまったそんな話を口をつぐんで語ったりしない。
 部落に加わったオフは常会などに呼ばれてそこへ出席していたのだが、今は初老になっていた男二人も出席していた。 二人の間はとくに仲が悪いとかそういうこともなく、むしろ仲がよいふうにも見えた。というのはある時、何かで急遽3千円を集めることになり、種無しと言われているほうの男が「今日は家に財布を忘れてきたので後日にしてくれ」、と言うとたまたま幹事をしていた連れて逃げた男が、「今日は俺が払っておくから後で返してくれ」と言って金を立て替えたりしているのも目にした。それがごく自然な感じだった。
 以上の話は今の人にとっては笑えるような馬鹿みたいな話かもしれない。戦後、民法の長子相続が廃され戦前まで続いていた家族制度が解体された。しかしまだまだ昭和30年代には家族制度は根深く人々の中に根付いていた。これはそんな時代の流れのはざまの中で起きた些細な事件の一つだろう。
 その後男の子は大きくなり役場の職員になり嫁さんを貰い、二人の男の子が生まれた。上の子供が小学校に上がった頃だっただろうか、今度はこの若い嫁さんが家を出てしまった。手引きする男がいたとか、単身で都会へ行ったとか、いろいろ言われていたようだが真相はわからないままである。 残された子供の世話はおもにかって男と家を出た祖母が見ることになった。 いろいろと問題が多いので、子供たちが年頃になってグレなければよいがなぁ、と思って見ていた。しかしすでに子供たちがグレる兆候は幾つか目にしていたが その後オフも神戸に来てしまい、おまけに病気で帰れなくなったのでその後のことはわからない。
 オフとしては何となく若い嫁さんが家を出たのはある程度仕方がないと思えた。ただこの話を聞いたとき、もう昔とかなり違っている、何で若夫婦は子供二人を連れて家を出なかったのか、と疑問に思った。だがそこまで行くとその家庭内の親子や夫婦などの複雑な人間関係や事情が絡んでくるので、外部からはとやかく評しても仕方がないことである。 とにかく息子と子供二人は家に残って嫁さんは出て行った。