夜這い

 梅雨明け10日というがまさにその通りの暑さが続いていて、今日はその頂点とされる大暑である。 とにかくこんな時期は静かにしていることだと、出来るだけベッドで横になるようにしている。 元気な頃は夏ほど食欲が増して夏痩せなどとは縁がなかったが、ここのところ味覚が変で、何を食べても苦く感じるので当然食欲もあまりわかない。
 先日佐野真一著の「宮本常一の見た日本」を読んだ流れで「忘れられた日本人」を再読している。 前にも書いたがこの「忘れられた日本人」は、柳田国男の「遠野物語」と並んで民俗学の双璧をなす名著だろうと思う。 何度読んでも面白いし考えさせられる。 幾つかの話に分かれているのだが、それぞれ日本の民衆の日常生活の一端を垣間見せてくれている。 そしてどの話も男女関係の性の話が基調となっている。 その中に夜這いはどのようにして行われていたのかという話を古老が語っている。

 夜這いもこの頃はうわさもきかん。 はぁ、わしら若い時はええ娘があるときいたらどこまでも行きましたのお。 美濃の恵那郡の方まで行きましたで・・・さぁ三、四里はありましょう。夕飯をすませして山坂を越えていきますのじゃ・・・ はぁ、女と仲ようなるのは何でもないことで、通り合わせて娘に声をかけて、冗談の二つ三つも言うて、相手が受け答えをすれば気のある証拠で、夜になれば押しかけて行けばよい。 こばむもんではありません。 親のやかましい家ならこっそりはいればよい。 親はたいてい納戸にねています。 若い者は台所かデイへねている。 仕事はしやすいわけあります。 音のせんように戸をあけるには、しきいへ小便をすればよい。 そうすればきしむことはありません。 それから角帯をまいて、はしを押さえてごろごろと転がすと、すーっと向こうがわへころがってひろがります。 その上をそうっと歩けば板の間もあんまり音を立てません。 闇の中で娘と男を見分けるのは何でもないことで、男は坊主頭だが女はびんつけをつけて髪を結うている。 匂いをかげば女はすぐわかります。 布団の中へ入りさえすれば、今とちごうて、ずろおーすなどというものをしておるわけではなし・・・。みなそうして遊んだもんであります。
 そんな夜這いだが、村の中ではそれなりの不文律のルールがあったみたいで、別のところで博労だった土佐源氏は以下のように語っている。 「わしらみたいに村の中にきまった家のないものは、若衆仲間にもはいれん。若衆仲間にはいっておらんと夜這いにもいけん。夜這いに行ったことがわかりでもしようものなら、若衆に足腰たたんまで打ちすえられる。そりゃ厳重なもんじゃった」

 たしかに夜這いという言葉も今の若い人には意味不明の言葉になっているのかもしれない昨今である。 田舎にいた頃その夜這いについてちょっとした話を聞いた。 パチンコに来ていた知り合いのお客がパチンコをしている別のお客を顎で指して、あの男はこの前夜這いに入った男だ、と教えてくれた。 その話によると夜中にある家へ夜這いに入った男だが、あろうことか間違えて婆さんの部屋に忍び込んだんだよ。 驚いたのは婆さんで、びっくりするやら少しうれしい(笑)やらで大声を上げて騒ぎ出したので、近所にも知れ大騒ぎになったという。 ちょうどその家の旦那は出張中だったが、それを狙って忍び込んだのだが、いやねぇ、どうしてあいつがそんなことを知っていたかというと、そこの嫁さんが旦那が留守だということをそれとなく知らせていたんだいうもっぱらの話だがね。 あの夜這い男はそれまで農協に勤めていたのだが、その話が広まってしまいとうとう農協をクビになってしまったんだよ。 見るとその男はそんなことあったのかとでもいう風で、夢中になってパチンコの台に向かっていた。