渥美清

 昨日病院を受診した。 採血の結果感染を示すCRP値が4・6→8・2とかなり上がっていた。 これには感染だけでなく病変の進行が続いていることを示している。 ここ一週間ほどは体調はとくに不都合なところはなく、熱もなく食欲もほどほどにあり平穏なほうだと思っていたが・・・データー違っていた。 それに血色素つまりヘモグロビン値が8・7→7・7と下がってきていて、医師はこれ以上下がると貧血が出てくる恐れがあって、成分輸血が必要になりますねと言う。  病変の進行を示すMタンパク値の指標であるIGG値は来週電話で聞くことになるが、値が下がっていなかったりしたらサリドマイドがさほど効いていないことが考えられる。 採尿の結果の尿中のタンパクは70とやや高いまま推移しているし、腎臓の劣化を示すクレアチ二ンや尿素窒素の値もやや高い。 前々回の受診の時に、レナミドマイドが認可されると聞いているが認可され次第それを使いたい、と申し込んでおいた。 医師はどうやら今月末から使えそうなので使います、と返事である。 思っていたより早まってよかったなぁなんだが、次回の受診日7月30日からサリドマイドが新薬のレナミドマイドに変わることになる。 ところが受診を終えて帰ってベッドで血圧を計っていた時、看護婦暦が長い嫁さんが手首の脈をとっていて、不整脈が一分間に10〜15回起きているわ、と言った。 その時自覚的には特には何もなかったのだが脈拍も100弱でかなり早いと言う。 医師に電話で連絡して明日土曜日も不整脈が続くようだと受診となると返事を貰ったが、幸い今朝は不整脈は一分間に2〜2回程度に減っていた。 これらの症状も抗がん剤サリドマイドの副作用と見られる。 いずれにしろあと2週間でサリドマイドとも縁が切れるが、計算してみるとこの薬は12週間続いたことになる。 次の新薬レナミドマイドは最後の薬で、これを使ってしまうと後はめぼしい抗がん剤はなくなってしまうことになる。 その後は緩和医療に切り替えることになるが、病変の進行とともに出て来るだろう骨の痛みに対しては、麻薬などを積極的に使用してあまり不快な思いをしないで過ごしたい。 嫁さんもそこのところは覚悟しているのだろうと思うが、そうなれば早い遅いではなくて出来るだけ静かな終末を迎えたい。
 渥美清について抜書き。
 「寅さん」の演技で見せる闊達さとは対照的に、実像は自身が公私混同を非常に嫌がり、他者との交わりを避ける孤独な人物だった。「男はつらいよ」のロケ先で撮影に協力した地元有志が開く宴席に一度も顔を出したことがない話は良く知られており、身辺にファンが近寄ることも嫌っていた。タクシーで送られる際も「この辺りで」と言い、自宅から離れた場所で降りるのを常としていた。映画関係者ともプライベートで交際することはほとんどなく「男はつらいよ」シリーズで長年一緒だった山田洋次黒柳徹子、親友であった関敬六でさえ渥美の自宅も個人的な連絡先も知らず、仕事仲間は告別式まで渥美の家族との面識はなかった。これは渥美が生前、私生活を徹底的に秘匿し、「渥美清=“寅さん”」のイメージを壊さないためであった。実生活では質素な生活を送っていたようで、車は一台も所有しておらず、仕事での食事も店を選ばずに適当な蕎麦屋で済ましていたという。 26歳で肺結核で右肺を摘出しサナトリウムで約2年間の療養生活を送る。このサナトリウムでの療養体験が後の人生観に多大な影響を与えたと言われている。また、復帰後すぐに今度は胃腸を患い中野の立正佼成会病院に1年近く入院する。再復帰後は酒や煙草、コーヒーさえも一切やらなくなり過剰な程の摂生に努めていた。 病気については1991年に肝臓がんが見つかり、1994年には肺に転移しているのがわかった。47作からは主治医からも出演は不可能だと言われていたが何とか出演。1996年7月に体調を崩して同月末に手術を受けたものの、がんの転移が広がり手遅れの状態だった。山田監督の弔辞によれば、病院でがんの手術が手遅れの状態だった後、病室で震えていたとの事である。 1996年(平成8年)8月4日、転移性肺がんのため順天堂医院にて死去。 康雄(渥美清の実名)はそーっと消える。彼はそれが理想だと言っていたと言う。いつの間にかいなくなって町で誰かが噂している。渥美清っていたなあ、どうしたんだって言うと、あれ、一昨年、死んだよ、ああそうかいという消え方が理想なんだけれども、なかなかそうはいかないよ。 
 震えていたと言うが、やはり彼も死ぬことが怖かったのだろうか・・・先日テレビで詩人の谷川俊太郎がインタビューを受けていた時に、今のところ私は自分が死ぬことはあまり怖いと思わないんですが、むしろまわりの親しい友人や知人が亡くなることのほうが怖いですね、と語っていた。 この言葉にはうなずけた。 渥美清の言った言葉の中に以下のようなのがあった。
 『作り手が自信を持ったときは、彼がどんなに謙虚であろうと努力しても、傍から見ればどこか傲慢に見えたりするもんなんですよ』