吉田修一著「悪人」

 この間何冊かの本を読んだ。 その中の一冊が吉田修一著の「悪人」。 吉田修一はデビューして芥川賞をもらった頃の作品を何冊か読んでいる。 主として都会で暮らす現代の若者たちの今の姿を描いている。 その中の「ランドマーク」という作品につては前のブログで書評を書いたことがあって、それが残っているので、その一部を引用しながら今日は書く。
 ≪さいたまの大宮駅周辺の再開発の大きなビル建設に関わっている二人の男がいる。一人はそのビル建設のの下請け会社の作業員でキューシュウと呼ばれる地方出身の鉄筋工。 吉田修一の作品にはこのようないわばブルーカラーの男達が出て来る。 朝8時から現場に入り、夕方5時まで汗を流してみっちり働いた後は、パチンコをするか、酒やビールを飲んで寝る。 休みの日は競馬や競艇に出かけて金を賭けオケラになるか、予想を当てれば風俗店やキャバクラでワァ〜ッと騒いで、月曜日の朝8時からまた現場に入る、一生文学などと縁のないそんな男達。  もう一人は犬養と呼ばれる工学部建築学科の大学院を卒業した新鋭のビルの設計者。 二人は同じビル建設に関わっていて、この二人の周辺の日常がつづられて話は進んで行くが、この二人は最初から最後まで当作品の中では交わらなくて他人のままで終わる。
 作品の中にこんな会話が挟まれていた。
 ーなぁ、なんでそんなことをしたいんだよ?
 ー理由はないの。ただ、そのほうが楽なの
 ー楽って?
 −・・・・・・
 ーなぁ、なにが楽なんだよ 
 ーこんなこと言うと、いい子ぶってるみたいで嫌なんだけど・・・、私さ、ときどき会ったこともない犬飼さんの奥さんのことを考えることがあるのよ
 ー・・・・・・
 ー・・・でね、すなおに悪いなって思うの。もちろん、一番悪いのは犬養さんよ。でも、私もかなり悪いと思うのよ
 ーお前、そんなことを考えてんだ
 ーそりゃ、考えるよ。同じ女なんだし・・・。でね、もっとこう、なんていうか、犬養さんとのことは、本気の遊びみたいにしたいのよ
 ー遊び?
 ーそう、ほんきの遊び。・・・そうじゃないと、なんていうか、私、ちょっと苦しいんだよね
 そう言いながら、その後女が提案した<本気の遊び>とは、シティホテルの部屋で、コールガール&コールボーイを呼んで、隣のベッドで彼らを相手にお互いにセックスしあう、ということであった。 そんなことが<本気の遊び>になるのかよく解からないところだが・・・もっとも<本気の遊び>というものがどういうものかもよく解からないが・・・自分達のやっていることが、決して楽しいだけのことじゃなくて、きわどく、危ないキリキリするような綱渡りのようなもの、どこかで嘘をついているような恥ずべき行為であることを心に刻み付けたいということだろうか・・・して、そのような行為を経て・・・二人の関係はその後どう変化していくのか・・・≫
 この中の会話の部分は、犬養と浮気の相手の女ろがベッドの中で交わした会話の一部である。 つまり浮気している相手の女がある時、わたし本気の遊びがしたいの、と言い出したのだ。 今のように、逢って食事をしてお酒を飲んだり、ベッドをを共にするだけの関係・・・楽しむだけの関係を続けていると、何だか苦しくなるの、と言い出した訳だ。 生きているという実感のないまま良い所取りだけして漠然と生きていることの不安、つまり現代社会での生きていることの不安、そのあたりを表現しようとしている。 その他日常的なディテールなども手垢のついた表現などではなく書かれていて、これは新しい書き手が現れたなぁとも思えた。 しかし、エリート層の男女に対置するように描かれているブルーカラーの若者の側に生の実感があるかというと・・・同じようにないのである。 このように階層によって仕分けられた男女を対置してみたところで、階層の典型というべき像などすでに失われて久しいのだし、ただ社会の中に個化した個々人がいるだけで、対置することで生の不安に対しての展望や希望などを導き出すのは到底無理な話である。 結局作品は何の結論もなく投げ出されたように終了してしまう。 初期の頃の吉田の作品もほとんど「ランドマーク」と同様な投げ出すような終わり方をしている作品が多い。 その後の古民家に関わったこともあって吉田の作品は読んでいなかった。 「悪人」は比較的最近の作品で、かなり評価された作品らしいので期待して読んだ。 結論から先に言えば少しも面白くなかった。  「悪人」ようなストーリィの展開を追って読んでいく作品はたしかに読みやすいのだが、残念ながらぜんぜん面白く思えない。 それがミステリィとして組まれていて、謎が謎を生みドキドキハラハラするような展開をするものであっても、オフには少しも面白く思えない。 そのような作品はこれまでの作品にはなかった意外性が追求されることはあっても、所詮既存知の延長かつなぎ合わせであって、心を震撼させるような人間の不可思議さが滲むような面白みがないのである。
 読み終わった時に思った。 そうか、吉田修一がそちらの方向へ舵を切ったのか・・・考えてみると前のまま書き続けるのは無理だろうし、舵を切ったのが妥当だったのだろうなぁ、と同情的なものであった。 まあ、オフが面白くないだけでべつにエンターティメント系の作品が悪いわけではないし、作者がそちらの方へ向かうのもそれはそれでよい。 むしろその方が作品も数が売れるだろうし収入も悪くないと思う。