虐め

 体調は先週末ぐらいからかなりよくなってきた。 副作用の不快な乗り物酔いのような気分の悪さや頭痛がようやく無くなった。 先週末はサリドマイドを200ミリから100ミリに減らしてからちょうど3週間にあたる。 問題はこの100ミリで病状が進行しないことであるが、今週金曜日に受診があり、その時の採血の結果次第である。 IGG値が増えていなければよいのだが・・・
 レナミドマイドといわれる新薬が近々認可されるようである。 この薬はサリドマイドの前躯体で、サリドマイドに比べ副作用が少ないといわれている。 現在前の抗がん剤であるベルケイドの副作用の足の痺れは、止めてから数ヶ月経過しているが相変わらず続いている。 サリドマイドも時間の経過とともにた足の痺れが出てくるらしいが、その副作用が少ないだけでもこちらの薬に換えたい。 というのもサリドマイド治療が継続できなくなるのは、薬が効かなくなるより副作用が強く出てきて続けられなくなるというのがほとんどらしいからである。
 前回は虐めについて書いたが、オフの場合虐めはどうだったのか? 学生時代を通して虐めを受けることも少なかったし、虐めることも少なかったと思う。 その理由を考えても、これだと言う理由はとくに思い浮かばない。 虐めを受けにくいタイプだったとも思える。  ただ高校一年 生の時の時のことであるが、見知らぬ上級生に廊下に呼 び出されて、放課後迎えが来るから教室で待っていろと言われた。 何のことかさっぱり分からなかったが、側にいた同級生がリンチされるかもしれないというようなことを言った。  その友人が言うには、お前は少し目立ちすぎているんだ、と言う。 どこが?と聞くと、何処という事ないが、服装とか態度とか何となく目立っていているんだ、と言う。 それを聞いた時はまさか・・・と笑っていたが、時間が経つにつれて少しずつ怖くなって来た。 その後の授業は落ち着かなくまったく上の空の状態だったと思う。 放課後上級生の迎えが二人来て彼らの後を付いていった。 ところがそのとあたりから突然覚悟が出来たというか、それまで怖くてビビッていたのが、嘘のように落ち着いてきた。 まあ、何発か殴られるにしても、ただそれだけのことじゃないか、と思えたからだ。 音楽室があった校舎の裏手に連れて行かれ、そこには何人かの上級生が待っていて、まわりを囲まれた。 誰かが、お前が普通科の**か、と聞いてきた。 返事せず首を振った。 お前は普通科の一年生のくせに粋がっているそうだなぁ、と言う。 それには黙っていた。 その後少しなんだかんだと言われたようだったが心の中では、殴るんだったら早く殴って済ませてくれ、ぐらいに思っていた。 最後に多分親玉のような大きな男が、お前が突っ張っているから先生達も困っていると聞いている、あまり先生たちを困らせないでおとなしく勉強していろ、と妙な説教をたれて終わりになった。 まったく笑えるような話であるが、それでおしまいで殴られることもなく一人帰って来た。 何とも牧歌的な時代だったのだ。 後で聞いたが親玉のようなかっこつけた男は当校の番長だということだった。 それから何日経ってからその番長からまた呼び出しがあった。 行くと番長は取り巻き達何人かと芝生の上で坐っていて、オフを見て、最近はどうだおとなしくしているか、と言った。 そうしている、と答えると、それでよい、もう知らない仲でないのだし、もし誰かに因縁でもつけらるようなことがあれば俺のところへ言って来いよ、ということであった。 その後しばらくその場に坐って彼らの言っていることを聞いていたが、高校生にしては幼稚なことをしゃべっていたと思った記憶がある。 ただそれだけのことだった。 これは後で思ったことだが、番長が学校にいた頃は彼の睨みがあったのか、他学科の上級生などとの間にはほとんど問題はなかった。 彼が卒業していった後、他学科の者から睨まれたり、何かと言われたりすることが多くなった。 理由は当時学校では丸刈りとされていた髪の毛を伸ばしはじめたということがあったからだった。 それでも何かされるということはなかった。  
 今にして思えば人間も純朴でその関係は牧歌的でおおらかな時代だったと思う。 もうあのような時代には戻りたくても二度と戻ることはないだろう。 これからはグローバル化が進みビジネスの場では英語を話すことが必携だろうし、自分の独自の考えや意見を持つのが当然のことだろうし、まわりの人の顔色を見ながら意見を言っているようでは馬鹿にされるだけだろう。 これまでの日本的な美徳が美徳でなくなってしまう。 しかし虐めはなくならない。 そうなればそうなったで、虐めは形を変えて行われるだろうが、どのような形となるのだろうか・・・