土佐源氏

 相変わらず調子がイマイチである。 先週末の採血の結果を嫁さんが病院へ電話して訊いた。 IGG値が2110→2530と上がっていることが分かった。 サリドマイドを200ミリを100ミリに減らした結果だから、ある程度上がるのは覚悟していたのだが、数値として出てくるとやはりガッカリする。 IGG値の標準値の上限は1700あまりであるとされているが、耐性はかなり個人差があって、3000ほどあっても平然としているすごい人もあると聞いている。 残念ながらオフはそのような特異な体質ではないらしく、ここのところの体調の悪さは薬の副作用だけでなく、病気のゆるやかな進行もあるみたいだ。 ベッドから起き上がる時、肋骨に鈍い痛みが走ることもたびたびである。 一方胸のドキドキというか心臓の動機はプログレスを止めてからかなり治まってきている。 脱水にならないように水分を意識的にたくさん摂っていることも、よい風に働いているのだろうと思う。 ところが現在の一番の楽しみである食欲の方が、少しずつ落ちてきている。 ご飯がノドを通りにくくなってきている。 これは薬の副作用に口内の乾きというのがあって、その影響だろうと思う。 ご飯が食べにくいものだから朝飯時には卵かけご飯にしていて食べたり、昼は饂飩とか蕎麦にしている。 明日からでもまた以前のように野菜の具沢山なお粥に戻そうと思っている。魚類も大好きな鰯、秋刀魚、鯖などよりも鰈などの白身で淡白なものが好みと変わってきている。
 ここのところ少しずつ本を読んでいるが、佐野真一著の「宮本常一の見た日本」を読んだ。 宮本常一は戦前戦後を通して日本各地を歩き、各地の人々の生活を記録し続けた民俗学者である。 とくにその著作「忘れられた日本人」は今でも地道なロングセラーとして有名であるし、オフは第一級の日本の名著だと思う。 前妻が亡くなった後四国へ車で旅した時に、愛媛の大洲から山越えで高知県に入り四万十川の源流のユズ原村を訪れた。 著作の中の土佐源氏の話の舞台になった地であるかの地ユズ原村を訪ねてみたかったのである。 ユズ原村は宮本が旅した頃は山また山を幾つか越えてようやくたどり着く秘境のようなところだったが、今は舗装された道路と幾つものトンネルが出来ていてわずか数十分で行けるようになっていた。 車でユズ原村の道をあちらこちら走り、博労が逢瀬をしたという太子堂を探した。 おそらくここだったのではないか、という小さな太子堂に見当をつけて、そこに座り込んでしばらく静かな時を過ごした。 80歳となり盲目の土佐源氏は語る。
 『あんたも女をかもうたことがありなさるじゃろう。女ちうもんは気の毒なもんじゃ。女は男の気持ちになっていたわってくれるが、男は女の気持ちになってかわいがる者がめったにないけえのう。とにかく女だけはいたわってあげなされ。かけた情は忘れるもんじゃァない。』