悪戦苦闘

 体調がいまいちである。 日によっては頭痛がして、気持ちはあるがブログを書く気になれない。
 前回の話の続きである。 パチンコ経営では出玉率という指標がある。 お客に貸した玉の数とお客が機械で遊び稼いで景品と交換した玉の数の割合である。 後者を前者で割った数字である。 戻ってきた玉数が少なければそれだけ店の儲けが大きい、逆に戻ってきた玉数が貸し出した玉数より大きければ店は赤字ということになる。 当時は8割5分の出玉率というのが一つの目安であったが、それを維持できるためにはある程度以上の売り上げを確保しなければならない。 しかし売り上げが低ければ当然出玉率を下げて必要な儲けを確保するしかない。 当然のことながら出玉率が低ければお客は散っていく、そうなればまた売り上げが下がり出玉率を下げざるをえない・・・悪循環である。 それでも日々の売り上げからいくらかの金を毎日積み立てて、それをまとめて月末に借入金の返済にあてる。 そうして返済金が少しずつでも減り始めると利子も少しずつ減っていくので、手元のやりくりは少しずつ楽なる・・・というのが健全な経営の流れというものだろう。 ところが借入金を返済するとたちまち手元が苦しくなり、せっかくなし込んだ額を再び借りる。 そんなことを繰り返していて当初の借入金はいっこうに減らず、ただただ銀行に利子を払うために悪戦苦闘しながら商売をしているような綱渡りの日々が続く。 そうして何とかしのいでいたある年の年末、従業員の給料は払えるが、年暮のボーナスを出そうにも一銭もお金がないという事態になった。 ある一役員言い出した、何も渡さないよりは気は心でせめてミカン箱一箱でも渡そう、という意見が通り、暮のボーナスはダンボール箱一箱のミカンと決まった。 それを渡す時、情けないやら恥ずかしいやらで、まともに従業員の顔も見ることが出来ずうつむいて渡したおぼえがある。 その夜布団の中で、腹を立てた従業員は明日の朝誰一人仕事に出て来ないのではないか・・・夜通し眠れなかった。 そんなこともあって次の日の朝いつもと変わらず顔をそろえた従業員を見た時にはおもわず目頭が熱くなった。 その頃の従業員は全員女性でだったのだが、男性は給与の水準が女性より高いので使いたくても使えなかったという実情であった。 昭和50年代当時の日本は石油ショックから立ち直り再び高度成長の真っただ中で、毎年給料やボーナスが増えるのは当然とされていた好景気の時代、働く人たちも給料やボーナスが前回よりいくら増えるのかを楽しみとしていた頃の話ある。
 朝十時に景気のよい軍艦マーチのレコードを鳴らし開店するが、どうしたわけかお客が一人も入って来ない。 10分、20分、30分、一時間たっても誰一人としてお客は来ない。 気持ちだけは焦るのだがどうすることも出来ない、がらんとしたホールの中に大きな音で音楽だけが流れている。 従業員は店の中の一箇所にかたまってヒソヒソと何かおしゃべりをしている。 とうとうお昼の12時になったがまだお客は一人も入って来ない・・・そんな嫌な夢にうなされて夜中に目が覚めることが何度もあった。 何とかしなければ・・・と言って出来ることはない、会社の細かい仕入れとか備品の使用とかあらゆる面でのケチケチ合理化で経費の削減をはかっていたが、その程度のことでは追いつく程度の借金の額ではないのである。