ビューティフルサンデー

 ここ二、三日は梅雨の晴れ間で湿度も少なくからりとしている。 日本上空にあった梅雨前線が南海上に下がり、北からの冷たい高気圧に覆われて涼しくなった。 昔ビューティフルサンデーという歌がヒットしたことがあったが、あの歌が口をついて出てくる。
 あの歌がヒットしたのは76年だったが、その頃のことを思い出してみた。 上の息子が生まれた翌年でオフは29歳だった。 前の年になんだかんだと半分だまされたみたいに帰った田舎だったが・・・帰ってみて驚いた。 少しは楽できるかなぁと甘い考えがあったが、とんでもない思い違いだった。 会社は火の車というより何時つぶれてもおかしくない状態であった。 その原因は過剰な借り入れ金にあった。 その売り上げの規模からせいぜい1億円ほどの借り入れ限度に対してその倍額近くの借金があった。 商売と言うのは二軒のパチンコ店の経営であるが、すでに銀行管理になっていて前日の売上金のすべてを翌朝銀行員が集金に来て1円に至るまで回収していっていた。 それを全額当座預金に入れ銀行の利子分を差し引き、借入金の返済の積み立てをしてその残りで当面のやり繰りしていた。 ちなみに借金を返済してもすぐまたその分を借り入れをするので、借入金は少しも減っていかなかった。 何とかつぶれなかったのは商売が日銭の入る現金商売で、貸し倒れなどなかったことが大きかったと思う。 それに月末の支払先のタバコ店、菓子店なども株主の一員で、支払いの来月送りに応じてくれていた。 それでも金のやり繰りがきびしい月があった。そんな時はいったん支払った役員の報酬をそのまま会社に無利子で全額貸し付けることで、何とかしのいでいる状態だった。 役員の人たちというのは個人でもそれぞれパチンコ店を経営していたので、その報酬がなくてもすぐには暮らしに困ることはないから、そんなことも出来たのだった。 そんな最悪の状態だったが、気持としては暗いものがなく、むしろあっけらかんとしていた。 つぶれるしかないのならつぶれるのもよいではないか、そうなればその時のことである・・・また何とかしてもう一度出直すさ。
 オフは29歳。 失敗はまだまだ取り返しがつくさ・・・♪ハッ、ハッ、ハッ、ビューティフルサンデー〜 どこまでも能天気な歌詞を口ずさみながら、当てもないまま前向きな気楽な日々を過ごしていた。