魚づくし

 相変わらず身体の不調は続いているが、少しだけましになったかなぁと思うと次の日はまた悪くなっている。 風呂へ入ると身体の循環がよくなって溜まっている悪いものが流れるのだろうか、少しだけ体調がよくなるような気がする。
 先日病院へ行ったときにスーパーで魚を買ってきた。 五枚に下ろしたサクの鰹があったので買ってきた。 まあまあ脂の乗りもよく刺身に切り味醂と醤油に漬けていわゆるズケにして食べた。 身の締まりはいまいちだったが脂の乗りはほどほど、もう夏だが今だとまだ初鰹と言うのだろうか。 日本海では鰹はあまり獲れないとされているが、正月前後に小ぶりだが脂の乗りのよく身の締まった鰹が獲れることが意外と知られていない。 新鮮なものはハラスのところなどコリコリしていてこれが鰹かと驚くくらいである。 その頃日本海側では鰤をはじめとしていろいろな魚が獲れるし、もともと鰹などを下魚と見る風習があって、値段はかなりお安いのもうれしい。
 その他鯵を買ったのだが、最近は真鯵の大きいものはめったに見かけなくなり今回買ったのも丸鯵である。 丸鯵は真鯵に比べると体型が丸くて皮がやや硬く、味の方は一段落ちる。 買うか買うまいか少し迷ったが、頭部に切り込みの血絞めがしてあったので買ってみた。 田舎の北陸の魚屋では血締めしてある魚はめったに見ないが、当地では鯖や鱸など血抜きしてある魚をまあまあ見かける。 血締めは新鮮なうちに頭部や尾びれなどに切り込みを入れて血を抜いて、魚が生臭くなるのを防いでいる。
 それに今回は天然モノの真鯛も買った。 産卵も終えてシーズンというか旬を過ぎているので値段が嘘のように安くなっていたからだが、味の方は?だろうと思っている。 最近は受診に合わせ二週間に一度の買い物なので、魚など手当たり次第に買って冷凍保存して、小出にして食べることにしている。

 魚だけでなくオフは料理が好きだが、その好きな料理を子供たちに教えるということはしていない。 オフも料理を親から教わったわけではない。 好きな上に本人にやる気があれば自然それは覚えるものであると思っている。 直接教えてもらうより多少無駄な寄り道はするかもしれないが、技術は失敗の上に成り立っている。 50歳を過ぎてからズブの素人が古民家の大工仕事や左官仕事に関わって知ったことはそういうことだった。 芸や技術には失敗こそが大切な財産なのである。 よくこのままでは伝統の技術が失われるなどとが言われるが、あまり心配することもないと思う。 失われる技術はまた同じ条件になれば必ず復活するものである。 たとえば二本の木と木を組み合わせる時に強度を落とさないようにどのような組み手にすればよいか、またそれをどういう手順で仕事をすれば無駄がないかなどなどは、人が頭で考えれば結局同じ結果に落ち着く。 なぜならそれは理にかなっているからである。 その技術で飯が食えるようになれば、自然に失われた伝統技術は復活するものなのであると考えている。