情況

 最近マスメディア、とくに新聞、雑誌などの急激な販売不振や衰退が言われている。 とくにインターネットが広く普及しているアメリカではその傾向が顕著で、地方の中小の新聞社が次々に廃刊したり、大手の新聞社なども経営を身売りや縮小していると言われている。 日本でも09にインターネット広告が新聞広告を追い抜いてしまい、朝日新聞が赤字に転落したとの報道もあった。 インターネットが普及する情報社会が本格化してきたことによって、新聞・テレビ・雑誌といったマスメディアの衰退がジワジワと進んでいるのである。 マスメディアはこれまで政治や世論、流行などを管理する第四の権力とも呼ばれ、世論やブームや社会通念、政治判断などを特定の方向に誘導することにおいて大きな影響力を持ってきた。 そんなマスメディアが果たしてきた役割は何であったのか・・・それを一言でまとめると<均質的で画一的な価値観の形成>ということにつきるのではないだろうか・・・  均質的で画一的な情報の大量伝達を通してマスメディアは、政治や経済、社会などに対して主流とする見解や意見を提示してきた。 また世論調査などを通して政権に対する支持や、政策に対する賛否や、選挙の事前予想を伝えたり、特定の商品やサービスの人気度をアピールすることで社会の流れやに流行を生み出したりしてきた。 国民の平均的な生き方や標準的な価値観をさまざまな記事・データを通して提示することで、良識的・常識的とされる国民の類型を作り上げ、日常的な消費行動や労働や結婚などの社会規範性を暗黙のうちに形成してきたと言える。 「みんなが今こんなことをしているから、あなたもどうですか・・・」とか、「今これが売れているから、あなたもどうですか・・・」などいう暗黙の同意圧力を掛け、画一的で均質的な国民的な欲求を育成するリード役を果たしてきたという訳である。  そのマスメディアが衰退すれば、当然情報の大量伝達が衰退し、国民全体に共通するステロタイプ化した価値観の形成やワンパターン化した社会状況の認識などの弱まりとなって現れてくる。
 マスメディアの不振、衰退の背景は言うまでもなくPCに出現によるインターネットの普及によってであるが、そのインターネットが普及することで個人の価値観が多様化して、ライフスタイルがどんどん個人化してきている。 そうなればこれまでマスメディアによって作られてきた社会全体に通用する均質的で画一的な価値観が弱まって、価値認識は多様化し細分化されるといった現象が生まれることになる。 家庭が大家族から核家族化して、さらに核家族から個人単位のライフスタイルを持つように至った。 それはより多くのモノ売らんかな式の貪欲な資本主義の要請であると同時に、われわれの側も何ものかに帰属させられ、その人間関係に縛られるしがらみから逃げることを望んできた結果ともいえないことはない。 他者と関わったり集団に帰属したりしたいけれど、自分自身のプライベートには必要以上に干渉されたくないという、まわりとのよりゆるやかなつながりを志向する欲求ががその背景にあったからなのだ。 そしてさらにややこしいのは、どうやらリアルな世界でもウェブ上でも変わらないようであるが、そこに現代人特有の自己愛的な孤独感・不安定感が絡んでいることである。 
 都市化やグローバル化、市場化、情報社会化、ライフスタイルの多様化の流れは今日とどまることを知らない。 その結果、個人と地域社会との結びつきは弱まり、経済の停滞により経済格差や就職難や未婚化などが進み、家族にも企業にも帰属感を持てない個人や単身者が増えている。 個人は集団からの孤立感を感じ、他者とのつながりの実感を失ったまま、いわゆる<無縁社会>の中で<おひとり様>として生きていくことになる。 戦後社会での擬似コミュニティとして機能していた会社も徐々に弱体化し、財政にも余裕のなくなった状況では、すでに<地方>や<福祉>なども聖域ではなくなり、それらの切り捨ては避けられない状況が目の前に来ている。 そんな社会の荒廃感の中、ある日を境に人々が国家への過剰な帰属の方向に活路を見出すことが起こらないとも限らない。 そういう情況の中では、個々人がよほどしっかりと自分の頭で考えた意見、主張、考えを持って生きていないと、たちまち足元をすくわれるということが往々にして起きる。