草食系社会

 電子書籍やゲームやインターネットを手軽に楽しめる米アップルの新しい携帯端末「iPad(アイパッド)」の国内販売が始まった。 いずれこのようなものが出てくるだろうという予想はしていたが、とうとう現実化したかである。 最近の新しいモバイルに関することにはあまり興味もないし、とくに知ろうともしないのでだんだん何が何んだか分からなくなってきている。 ただ言えることは家庭に設置されているPCなども今後主要なメディアではなくなっていき、携帯が中心になっていくのだろうということだけ分かる。 そんなめまぐるしい流れのなかでインターネットをはじめとする多機能なモバイルが、どこにでも持ち運びできる携帯として出てくることは必然な流れだと言える。
 会社に出社しても、まわりの人に挨拶するよりも先に、今、会社に出社したよ、と友人や恋人にメールを打つことがまず優先されたり、どこかのバーなどで酒を飲んでいても隣の人と話すより携帯で、今、何処そこのバーで飲んでいるんだ、などと連絡して話するというような一昔前には考えられないような状況で、人と人が繋がる人間関係もその間に携帯の媒介なしでは済まされないようになってきている。 若い人を見ていて、一体一日のうち携帯を覗いている時間と、そうでない時間とどちらの時間が長いのだろう、と疑問に思ってしまう。 そんな中人づきあいが苦手ないわゆる「草食系」の若者が増えているという。 「人と会って話すよりメールでやり取りするほうが楽だ」という答がかなりの率に上るという。 若者にとって携帯は身体の一部と同様になり、日常生活のコアになりつつある以上当然の成り行きだろうと思える。 問題はそのような若者が主流となる社会ははたしてどのような社会になるのだろうかということである。
 草食系という言葉は、もともと草食系男子という言葉として出てきていた。 女性に対して積極的ではなくどちらかといえば臆病である昨今の男子全般の動向を指している言葉だった。 そのような草食系男子は「他人が自分をどう見ているかが気になる」という回答が多いという。 男性の女性化だとして嘆く大人たちの声が聞こえてきそうだが・・・どのような社会になるのかを、草食系男子という問題に絞って考えてみたい。
 明治に西洋を倣い長子相続が法制化されるまで日本の庶民レベルでは母系社会であった。 柳田国男がどこかに書いていたが、共同体の中で男女が仲良くなったという話が伝わると男が女の家に通うようことをまわりも認める。 子供が出来ても女はそのまま自分の生まれた家で子供を生み育てる。 男の母親が家事などをやる気をなくした時点で女は子供がいるなら子供を連れて男の家に入る。 まあこの方が男系相続につきものの嫁姑の問題も起こりにくく合理的だったと言える。 歴史的に見て母系社会を崩してきたのは争い、すなわち男が主導権を握る戦争がらみであった。 武士社会が男子の長子相続であったことはそのような背景の中ではある意味で合理的なことであった。 だが一般庶民レベルでは、武士同士の主導権争いや権力争いにはまったくかかわりがなかった。 明治期以降わが国は富国強兵策をとり、西洋上流社会の男系相続制度を取り入れ、戦争に備えて<産めよ増やせよ>を国策を中心に据えるたが、これもまた男系相続が当時の国策に合致したということである。 しかし、戦後の民法では長子相続は廃されて、相続権は配偶者と子供全員となった。 同時に平和な社会が続き、これが実質的に時代の流れとマッチして今日人々に広く受け入れられている。 歴史的に見ても男子が威張っているような時代は争いが絶えない、人々にっては不幸な時代が多かった。 今後ますます男子が草食系に近づき、女子が気に入った男子を選ぶような風潮が主流になったとしても、もともと日本社会は母系社会であったことを考えれば、それは本来の流れへの回帰であり、ある意味合理的なことだと思う。