二年経過した

 サリドマイドを使用して5日経過した。 今のところこれといった変化はない。 最初だから使用量が100ミリグラムと少ないこともあるかもしれないが、とりあえずこれで行って、何ともなければ次回から倍量に増やされると思う。 前の抗がん剤ベルケイドの副作用の足の痺れは相変わらず残っているし、時々ピリピリする神経痛の痛みもある。 ベルケイドに比べるとサリドマイドは比較的穏やかな治療のスタートである。
 おおよそ二年が経過した。 田舎の病院で血液の再検査を受けるように言われ、その結果が出て多発性骨髄腫に罹患していると知らされてからである。 その時の日記には以下のように書いている。
 ≪翌日朝から自宅まわりの草刈をして、夕方ようやく8割がた終えて、病院へ行く。 さっそく採尿と採血だったが、7本も採血される。 前回の血液の検査で総蛋白の値が少し高かったので、さらに詳しく検査した結果ガンマーグロブリンの量が正常値の倍あって、多発性骨髄腫の疑いがある、との説明である。 今日の採血の結果は一週間後に出ますが、その結果でさらに詳しいことが分かってくれば骨髄の生検が必要になるということである。≫
 あれからたった二年しか経っていないのか・・・と少し驚きであるが、思えばそれだけ長い二年間であったということなのだろう。
 一昨年の夏に発病した後急激に病状が進み、胸骨の痛みも激しく麻薬なしでは過ごせない日々だった。 入院して試みられたのはVAD療法という化学療法だったが、一、二度目は押さえる程度の効果はあったが後が続かなく、次に自家末梢血幹細胞移植を受けた。 これがたいへんな治療で心身ともにかなりのダメージを受けた。 約半年間の入院生活の後、退院時に医師は最低でも3年ほどは再発はないでしょう、と確約してくれていたが、半年間しか持たなくて、4月に退院したのだが10月に再入院となってしまった。 すぐに新薬のベルケイドの化学療法が始まり、病状は急激に落ち着いた。 しかしベルケイドも半年間ほどしか持たなかった、比較的低く抑えられていたガンマーブロブリン値が上がってきてしまったのだ。 そして今月からサリドマイドによる治療が始まったというわけである。 多発性骨髄腫という病気は個人差が大きいと言われている。 オフの場合どうやらいったん病状が出ると急激に進むという、もっともありがたくないタイプのようだ。 
 現在オフは須磨のマンションで嫁さんと二人暮らしである。 下の階には93歳になる嫁さんの父親が住んでる。 昨年までは下の階には父親、母親、次兄と三人が住んでいて、嫁さんは三人の食事の世話から介護までを一人で引き受けていたのだが、昨年認知症乳がんだった母親と次兄が相次いで亡くなってしまった。 父親も健在とはいえず心臓にはペースメーカーを入れているし、数年前に脳梗塞を起こして腰に小便の袋バルーンをぶら下げての生活である。 嫁さんとオフは6年前知り合ってその後籍を入れた仲である。 その時に彼女の古い友人はオフと一緒になると聞いて「やめときなさいよ」、と反対したという。 その理由が、「あなたはいずれ年金も貰える身だし、別にこの先暮らしに困るわけでもないでしょう。 いまさら男と一緒になっても、結局女は最後は男の世話やめんどうを引き受けるさせられるだけなのよ。 それより一人で気楽に生きたほうがよほどいいわよ」、諭されたと言う。 当時その話しを嫁さんから聞かされてオフは、「フン、何を言っているか」、と思ったものである。 ところが籍を入れてから三年ほどしてオフの病気が発覚し、あいなしに発病し入院となった。 病院のベッドに横になりながら嫁さんの友人の言葉を思い出し、 人には先のことは分からないとはいえ、嫁さんのことを思うと申し訳ないやら、情けないやら・・・涙が後から後から流れてとまらなくなってしまった。 もちろん同じように病気のこの先のことだってどうなるかはまったく分からない。 ただ、迷惑や世話を掛けるのは申し訳ないが仕方ないと思っているが、どうあろうと嫁さんと一日でも一緒にいたい、少しでも長く一緒に生きていたいと願っている。