サリドマイド

 病院へ受診してきた。  今日からサリドマイドが処方されたこともあったが、二度も製薬会社のファックスを送り、送り返されてくるのを待たされてして、午前11時に出て帰ったのが5時だった。 まあ、これからは初回の今日のようなことはないだろう。 それにサリドマイドはベルケイドのように点滴ではなくてカプセルの飲み薬だし、受診も二週に一度で済むのも助かる。
 
 道の真ん中に裸で立たされているような惨めな気分だった。 軒の低いまわりの商店街の家々の奥から、無数の嘲笑の笑いが聞こえてくるような気がした。 それでも笑いながら無様に突っ立って、去って行く彼女の後姿を見ていた。 すると少し歩き始めていた彼女が突然立ち止まって、ゆっくり振り返り、「ほんの少しの間だけだったらいいわ」、と答えてくれた。 それを聞きながら気持ちは天にも昇る気分だが、身体はどう反応してよいか分からない。 笑いながら頭をかきながら道の真ん中に突っ立っていた。 後で、「あの時の少し困ったような笑い顔がすごく可愛かったわよ」、と彼女は笑いながら教えてくれた。 それならと、オフも聞いてみた。 「なぜ一度断っておきながら、その後すぐにOKしてくれたんだよ?」 彼女の答え、 「私の下宿の部屋がねぇ・・・窓が小さくて暗い部屋なのよ。 そこへ今から戻って過ごすのか、と思うと急に鬱陶しい気持ちになって、もう少し時間つぶして帰るのも悪くないなぁと思い直したのよ」、と答えてくれた。 荏原中延の駅のすぐ横に喫茶店はあったが、そこは嫌だと彼女は言うので、再び電車に乗って自由が丘まで戻り、駅前近くの喫茶店に入った。 しばらく向かい合って話ししていたが、お腹がすいて来たので店を替わって食事をした。 食事をし話しをしながら、この人とは案外長く続くかもしれない・・・と頭の隅をボンヤリとした予感のようなものがかすった。 食事をしながら明日、一緒に映画を見に行かない、と誘い、約束を取りつけた。 次の日、映画を見に行ったのだろうが、どんな映画を見たかなどの次の日の行動については今ではほとんど覚えていない。  ただ彼女がその頃悩んでいた問題について相談を受けたことだけは覚えている。 当時彼女は大崎のSONYの工場のサテライト室という医務室の看護婦をしていた。 看護学校時代の教師で、SONYの医務部長をしていた人が卒業時に彼女を引き抜いたのだ。 仕事中ちょっとした怪我をしたとか、腹が痛くなったとか言ってくる人たちへの医療的な対応がおもな仕事だったが、それが逆に楽すぎて、彼女にとってはつまらなかったらしい。 彼女は本来の病院勤務の看護婦の仕事をしてみたかったのだ。 しかし誰に相談しても、楽な上に給料もよいし、将来もあるSONYの仕事を辞めることに賛成する人は一人もいなかったようだ。 しかし、オフは、「嫌なら辞めてしまえばいいじゃんか」、と考えもなしに笑いながら答えていた。 当時SONYはホンダとともに成長神話の双璧の会社だったが、オフに背中を押された彼女はしばらくして三年勤めていたSONYをあっさり辞めてしまった。
 それから1ヶ月ほどしてからだったか、彼女から、「引越しするから手伝って」、と言うので、運転免許書を持っていたオフは、レンタカーを借りて手伝うことにした。 引越し先はオフのアパートからそう遠くないところだとだけ知らされていて、彼女が言うには、「とりあえずあなたのアパートまで行ってくれたら、そこから私が歩きながら車を誘導するわ」、と言うことだった。 「近くのアパートなら、何処だか教えろよ」、と聞くが、「それは、当日のお楽しみ」、と教えてくれない。 当時、彼女は看護学生だった妹と同居していたのだが、洗濯機や冷蔵庫など多くの荷物は妹に譲り、引越し先で新しく買うと言うので、せっかく借りたハイエースの広い荷台に少しだけの荷物を積んでの出発だった。 品川区から多摩川を渡り中原街道(だったと思うが・・・)を元住吉の近くまで来て、とりあえずアパートの前に車を着けた。 すると・・・彼女は助手席から降りて、荷物を降ろし始めた。 じつは・・・そこが彼女の引っ越の終点だった。 「エエッ!四畳半だぜ」、と驚くオフを尻目に、彼女は車からどんどん荷物を降ろし始めた。 その日から狭い部屋で二人の同棲生活が始まり、彼女は川崎市の市民病院に看護婦として昼夜三交代のハードな勤務を始めた。