ビリから二番目

 外泊で須磨に帰ってきているが、病院と違ってまわりに人の気配がないせいでリラックスできている。
 数日前のブログに高校時代の後半に意識的に勉強するのをやめた、と書いた。 と言っても授業は時々映画を見るためにサボることはあっても、まあまあ真面目に受けていた。 クラスはAクラスからBクラス落ちしたが、成績順位は半分以下になることはめったになかったような気がする。
 以下はそんな頃のエピソードの一つ。 その日一日は朝から試験の日だった。 一時間目のテストの最中だったと思うが、しかしもうその理由は何であったのか忘れてしまったが、何か気に入らないことがあって、途中で試験を受けるのをやめてしまった。 その後、試験を受けるのを放棄したと思うが、そのまま家に帰ってしまったか居残ったのかどうかは覚えていない。 後日試験の結果、点数や順位が知らされた。 ほとんどが白紙なので当然ビリだろうと思っていた。 ところが順位はビリではなくて、165人中の164番でビリから二番目だった。 その時はビリでないのに驚いたが、その次に何でビリではないのだと腹が立ってきた。 そこでその順位表を持ってドカドカと足を音を立てて職員室へ行き、担任教師に「ほとんど白紙なのに何でビリではないんだ!」と偉そうに抗議した。 担任教師は、「何でまともに試験を受けなかったんだ」 と逆に怒て聴いてきたが、「そんなことは今どうでもよいから、何でビリではないんだ!」、と文句を言った。 担任教師はあきらめてしまい声をひそめて、「お前はビリではないんだ、じつはお前の下がもう一人いるんだ」、と言う。 「いったいそれは誰なんだ!」と言うと、「これは誰にも言ってはならないぞ」と釘を刺して、「じつは万年ビリのヤツがいるんだ」、と言う。 「それは誰だ!」と聴くと教師は、「**だよ」、と教えてくれた。 それを聴いて、そうか・・・あいつか・・・と急に気が抜けてしまった。 教師はさらに「**はテストにほとんど名前しか書いていないんだ」、と教えてくれた。 あいつだったら・・・仕方ないいかなぁ・・・と勢いをそがれてしまい(そうか、生まれて初めてテストの順位でビリになれたと思ったが・・・)と何ともおかしな感想を抱きながらすごすご帰ってきた。
 さて問題の**のことだが、彼はオフたちと学年が同期の入学者ではなかった。 前年度の入学者で、肺炎か結核か何かの病気で一年留年してしまい、一年だったか二年生だったか、途中からオフたちと机を並べるようになった男である。 彼は絵を描いているという話だった。 クラスの中の物知りの話では、彼は二科展の入選を目指しているとかで、都会の二科展の審査員の先生とところに月一とかで通っていて、絵の指導を受けているという話しだった。 それには結構なお金が掛かり、そうしなければなかなか二科展などにな入選は出来ないものなのだ、と物知りは得意そうに教えてくれた。 高校時代にそんな**の描いた絵を一度だけ見たことがある。 彼が二科展へ出品するとか、したとかという作品で、彼がわざわざ学校に持参してきてクラスの皆に御披露目した絵である。 20号ほどの油絵の作品だったと思うが、キャンバスには秋刀魚が描かれていた。 まず一番下に下に丸い七輪があり、その上に網が乗せられていて、その網の上に焼けた秋刀魚が三匹ほど乗っているのを・・・真上から描いた絵である。 たしかに克明に、リアルに、上手に描かれている絵だった。 だが、全体の印象が暗い絵だった。 その秋刀魚という平凡でどこにでもありふれているモチーフから受ける印象は、人を突き放すような暗く嫌〜な違和感にあふれていた。 今のオフなら当時なぜ彼がそのような印象の悪いモチーフをわざわざ選んで描いたのか、分かる気がする。 高校時代彼もまたオフ同様に先の見えない鬱々とした日々を過ごし悩んでいたのだろうと思う。
 高校時代の**に関するオフの思い出はこれですべてである。
 ところが高校を卒業してから二十数年後、意外なところで彼に関する情報を知ることになった。 前妻と金沢のデパートに買い物いに出かけた時、そこの最上階の特設会場で加賀友禅の着物の展示会が開かれているというポスターが掲示されていて、そのポスター中の金賞受賞作品に**の名前が大きく書かれていた。 さっそく最上階へ行き、ガラスケースの中に展示されている着物を見ながら、とうとうビリに成りそこなった高校時代のいきさつなどを妻に話した。 加賀友禅京友禅から見るとかなり地味系だと思うが、その中でも彼の作品はとくに色調が地味であるのだが、線のあしらいなどがかなり大胆で、伝統的な加賀友禅の枠を超えた現代的で斬新なものを感じさせる。 訊くところによれば**は今や加賀友禅では第一人者で、ゆくゆくは人間国宝という話しもささやかれているという話しである。