偽・杜甫の詩

 前回は初恋の人というテーマにおいて男女のアプローチの違いという所に強引に話をもっていったが、これも少々意図があってのことだった。
 最近たまたま漢詩を少し読むことがあった。 漢詩など高校時代に少し習って以来ほとんど読むこともなかったが、中国の唐代の代表的な詩人である杜甫の詩を読んだ。 杜甫には<国破れて山河あり・・・>という有名な詩があり、日本でもよく知られている詩人である。
 しかし、漢詩というのは限定的な題材しか扱っていない。 主なテーマが自然とか風景、季節などを詠むものから、送別、別離とか人生の回顧、懐郷などなどがその主なモチーフとなっている。 人々の生活実感とか、男女の官能の機微などをモチーフとして詠うことはなくて、それらは詩のテーマから意識的に外されている。 多分そういった男女の恋愛的な詩情などは、浮ついたもので一段低いもの、野卑なものとして捉えられていたのだろうと思う。
 さて杜甫の詩だが、以下に記すのはじつは杜甫の詩ではない。 と言うかほぼ杜甫の詩なのだが、その中のたった一字だけオフが勝手に他の一字に入れ替えてしまった。 そうすると面白いことに、もともとの杜甫の詩とはまったく違った意味合いというか、詩情と言うか、男女の機微がほのかに浮かび上がって来た(笑) 杜甫を詩の大先輩とみなしていた芭蕉などは、とんでもないことをするな!と怒り出すかもしれないのだが・・・

       杜甫 

  人生不相見  人生相見ざること
  動如參與商  動(やや)もすれば參と商との如し
  今夕是何夕  今夕は是れ何の夕ぞ
  共此燈燭光  此の燈燭の光を共にず
  少壯能幾時  少壯能く幾時ぞ
  鬢發各已蒼  鬢發各々已に蒼し
  訪舊半為鬼  舊を訪へば半は鬼と為る
  驚呼熱中腸  驚呼して中腸熱す

 あなたとなかなか会えなかったのは まるで參(オリオン座)と商(さそり座)の二つの星が天空では会えないようなものでした
 さいわにもこの夕べ こうしてあなたと蝋燭の光を前にして 会うことができたなんて・・・何と素晴らしい夜でしょう
 若い時というのは、あっという間に過ぎてしまいましたよね お互いの髪もすっかり白くなってしまいました
 昔の人の消息を聞けば、その半ばはすでに鬼籍に入ったとのこと、驚きでこころが熱くなってしまいます

  焉知二十載  焉んぞ知らん二十載
  重上君子堂  重ねて君子の堂に上らんとは
  昔別君未婚  昔別れしとき君未だ婚せずに
  男女忽成行  男女忽ち行を成す
  怡然敬母執  怡然として母の執るを敬ひ
  問我來何方  我に問ふ何この方より來るかと
  問答未及已  問答未だ已むに及ばざるに
  兒女羅酒漿  兒女酒漿を羅(つら)ぬ

 二十年の歳月をへだてて あなたとこうしてまた再び会えたことが まるで夢のような気がします
 昔別れた時、あなたはまだ未婚でしたよねぇ いまでは男女の子供たちが何人も並んでいますね
 子供たちはこのように喜びながらお母さんのお客さんをもてなし 私に向かって気さくに
 どこから来たのですか などと語りかけてくる その応答も終わらないうちに 皆で酒の支度をしてくれています

  夜雨剪春韭  夜雨に春韭を剪り
  新炊間黄粱  新炊黄粱を間す
  主稱會面難  主は稱す會面の難きを
  一舉累十觴  一舉十觴を累ぬ
  十觴亦不醉  十觴も亦醉はず
  感子故意長  子の故意の長きに感ず
  明日隔山嶽  明日山嶽を隔てば
  世事兩茫茫  世事兩つながら茫茫たり

 夜の雨が降るのに外に出て 春の柔らかい韮を摘み 黄粱に混ぜて炊いてくれましたね
 あなたは、まさかふたたびお会いできるとは思いもよりませんでしたわ
 と言いながら わたしと会うことの難しさに思いをはせている
 そうして あっと言う間に十杯の杯を傾けていまいましたね
 しかし いろんなことに思いをはせると 十杯飲んでも少しも酔えないものですよね

 あなたの深い思いや情に 今はただただ感じ入っているだけですが
 明日 わたしは嶮しい山並みを越えていきます ここで別れてしまえば
 二人の行く末などはあてどもないことで お互いの命もどうなることやら・・・
 もう二人は二度と逢えないのですねぇ・・・

 二十年の年月を経て再び逢うことになった二人。 この二人が若い頃初恋同士だったかどうかは、この詩からは分からないが、いつの間にか初老にさしかかりながら、お互いを思いやる情をさらに深くしている。
 なお、十三行目の<母>という語を<父>という語に入れ替えると、本来の杜甫の詩に戻りります(笑)