グーグルの中国からの撤退問題

 先週の点滴の前の日の木曜日、夜になって身体がイライラするので、以前にも飲んだことのある安定剤デパス(0・5m錠)を飲んだ。 その後少しは治まったが、夜半に乾いた咳が出始めて再び身体がイライラしだした。 なかなか眠れなかったが明け方になってようやくウトウト出来た。 金曜日点滴を受けてきたのだが、その翌日の土曜日の夜ベットで本を読んでいるとまたイライラが出てきた。 デパスを一錠飲むがまだすっきりしないので、眠る前にさらにもう一錠飲んだ。 デパスは睡眠作用もあり良く眠れた。 翌朝目覚めた時少し薬の作用が残っていて体が重かったが・・・食事を終わった後、何かおかしいなぁ、と思いながら過ごしていたがフト気が付くと・・・なんと!足の痺れがない。 ベルケイドを点滴するようになった後半年間ほどズット続いていた足の痺れがない 嘘だろう! さっそくデパスを検索してみると、抗不安作用や鎮静安定作用のほかに筋弛緩作用もある。 信じられない〜よ♪なのだが、点滴の前後に飲んでいるステロイドとの相乗効果かもしれない。 明日あたりにはステロイドの効き目もなくなるだろうから、その時イライラが出ればもう一度試してみるつもりでいる。
 グーグルが中国での検閲の停止を求めて詮索のサービスから撤退を表明して数日経過した。 内田樹氏がその直後ブログに<グーグルのない世界>という題で、この問題についていち早く的確な見解を記述している
 ≪グーグルの撤退が意味するのは、一情報産業の国内市場からの撤退ではない。 そうではなくて、ある種の統治モデルと情報テクノロジーの進化が共存不可能になったという歴史的「事件」なのである。 情報テクノロジーの「進化」と切断することがどれほどの政治的・経済的・文化的ダメージを中国にもたらすことになるのかは計測不能である。・・・略・・・ 隣国の「没落」がいつ、どういう形態で、どの程度の規模で始まるのかについて、リアルでクールなシミュレーションを始める時期が来ていると私は思う≫ と結論つけている。
 内田氏の見解にまったく異論はないが、この問題について最近読んだ梅棹忠夫氏の「文明の生態史観」に今は強く影響を受けけている今、その文脈をベースにしてこの問題を考えてみたい。 
 欧米や日本などの先進国ではメディアの情報・知識への検閲は許されないというのは、国民の知る自由と相まって、今日では普遍性の高い政治的な原則になっている。 日本も第二次世界大戦の敗北を通じて、国家によるマスコミなどへの情報統制は許されてはならないことだと深く経験し認識された。  それゆえ国民の知る権利や、表現の自由などは憲法(21条)で保障され、国家がそれらを無闇に統制、検閲することは許されないことであると広く認識され、今や動かしがたいわれらの当然の権利とされている。 ところがお隣の中国では、情報の無原則な公開は統一国家の歴史性や国民性の共通基盤に対するリスクとして捉えられ、新聞やテレビ、出版物などのマスメディアのすべてが、当然のこととして検閲の対象とされている。 これは梅棹氏の<生態史観>によると、第二地区(中国やインド、ロシア、中近東など)の文明では、検閲や情報の統制を自由化することは、それれの国々の社会構造や国民の生活様式の根底を突き崩してしまうほど根深い問題とされている。 それは統制側である政府だけでなく、国民もそう簡単に受け入れられない問題なのである。
 今週明らかになった中国の殺虫剤入り餃子の事件に対して28日の日経新聞は ≪27日付の中国の大衆紙各紙は容疑者の拘束を伝える記事を掲載したが、抑えた扱いが目立つ。国営新華社の配信を引用するのみで、独自の分析記事はない。当局が政府批判や対日感情の悪化につながるのを懸念し、統制しているとみられる≫と書いている。
 また政府だけではなく前回の日記にも書いたが、オフの見た27日のNHKのニュースの中でも、<インタビューされている現地の人もいまさら騒がないでよ、という身内の恥をさらして問題を大きくしたくないという態度があらわだった>のである。 他国や他人に身内の恥をさらしたくないと言う気持ちのほうが、情報の無原則な公開や自由化よりも先行する生活様式を持つ社会構造なのである。 
 さらに今回のグーグルの問題はマスメディアへの統制だけでなく、その先を行っている21世紀に入ってからのPCによるインターネットの広がりの問題である。 PCが登場する以前では、どこの国の政府であろうとも新聞・テレビ・出版物のマスメディアさえ規制しておけば、国民世論の方向性や価値観の形成をある程度コントロールすることができた。 ところが誰もが低コストな個人メディアを運営できるウェブ社会では、検索エンジンや個人メディアの規制といったより国民(個人)に近いレベルでの一つ一つを規制をしないと、社会に流通する情報、つまり政府に都合の悪い批判や現行の秩序に不都合な情報などなどをコントロールできなくなっているのが21世紀の今日的状況なのである。 
 つづく・・・