「文明の生態史観」

 ここ三日間ほど雨が降っているが、雨の中いつの間にかマンション内の桜が五分咲きぐらいになっていた。 体調は先週に比べ悪くないが、よくもない。 昨年再発してから本は手にしていなかった。 ベルケイドを入れるようになってから身体がだるく、本を読んでいてもすぐウトウトと寝てしまっていた。 だが、昨日よりアマゾンで本を買って読み始めた。 今読んでいる本は梅棹忠夫の「文明の生態史観」だが、この作品は若い頃読みそびれた本の内の一冊だが、50年経った今読んでも十分読み応えがある。 この後高校の教科書山川の世界史を発展させた「詳説・世界史研究」を読むつもりで買ってある。 
 梅棹氏の生態史観というのは簡単に言えば、世界を生活様式や社会構造でもって区分けしていくと、たとえばユーラシア大陸は真ん中と両端部分との二つに区分出来と見る。 両端の地域のヨーロッパや日本であるが、両地域共に経済的な体制は高度な資本主義で、封建体制から革命により移行しブルジョア階層が主導権を握って高度化した。 真ん中の地域はもともとは専制君主制か植民地制で、革命によって独裁者体制に移行して来ているが、ブルジョア階層が未熟で、いまだ資本主義も未発達である。 文明の形を過去において封建制を経てきたかどうかを重要なポイントに置いて区分けしているのだが、封建制というはそれ以前の族外婚的姓氏制や部族制やカースト制や超家族集団を解消した上に成立しているのであって、これが文明の近代化にとって最も重要である見なしている史観である。

 ≪第二の型では、事情はかなり異なる。その変革は遅れておこったが、よりドラスティックである。皇帝あるいは帝国主義的支配者はすべてお払い箱になり、新しい型の、強力な、愛国的独裁者が共同体を指導する。ここでは、革命はしばしば陰惨な内戦あるいは分裂をともない、場合によると、一度ではすまない。何回もの激震を繰り返しながら、過去を清算し、未来を切り開いていく。それは内部からの成長と言うより、外の世界から急速に迫ってくる近代文明の圧力に対する、有機体の必死の適応であり、新生である。近代化はしばしば、猛烈なスピードで強行される。先進資本主義諸国も、ある分野においては、追い越されるということも出てくるであろう。≫
 中国の文化大革命や昨今のアフガニスタンイラクなどの紛争や今日のインド、中国などの急激な経済成長などなどを予見していたように記されているが、何とこれが50年前に書かれた文章なのである。