劇画的な・・・

 先週は月曜日が痛みと痺れとも最悪だったが、今週は昨日、今日と何となく身体がだるくて夕方頃まで寝てばかりいた。 とくに何かをしなければならない身の上ではないので、痛みや痺れよりダルさのほうがまだましである。
 地下鉄サリン事件から15年が経過したというニュースがあった。 それによると13人の死者を含め負傷した被害者は6300人を超え、いまだにいろいろな後遺症に悩んでいる人がいるということである。 猛毒のサリンを吸い込んだ後遺症なのだが、現在オフの受けている抗がん剤治療も、その昔ドイツ軍が使ったマスタードガスという神経ガスの研究を出発としていると訊いているので、決して他人事とは思えない。
 これまで60年生きた来た中で、個人的に衝撃的を強く受けた大きな事件は何だったのだろうとふと思った。 いろいろ事件が思い浮かぶが、戦後の高度成長の終点のバブルの崩壊とそれに続くオウム真理教によるサリン事件が頭に浮かぶ。 そして21世紀に入ってのアメリカの911のテロと世界が不況に陥ったリーマンショック。 それに60年代末の全共闘運動もオフ個人としてはかなり影響の大きかった事件である。 それにそれ以上に強烈なのは、オフが生まれる少し前の第二次世界大戦での日本の敗戦がある。 オフの生誕前のこの歴史的事件は、いろんな意味でオフの自我の成長に多大な影響を及ぼしたと思う。
 それにしても繁栄の宴の後の90年代のバブルの崩壊やリーマンショックの経済がらみの事件を別にすれば、全共闘運動やオウムによるサリン事件と911となる。 今にして思えばこれらの事件はすべてどこか漫画のような事件だったような気がする。 それも劇画調な事件のように見えてきてならない。 まず、全共闘運動はそれぞれの参加者の内面的にはどうであれ、外部から見ればヘルメットを被って角材を持って滑稽にも<革命>を叫んでいたのだ。 一連のオウムの事件では、すべて麻原彰晃という一人の男の頭の中に湧き上がった妄想に端を発しているし、911のテロも、すべての悪者はアメリカ!と決め付けたオサマ・ビン・ラディンの妄想だったといってよいだろう。
 そしてそれを受け取る側のわれわれもマスメディアであるTVの影響だろう、一連の事件が頭に浮かぶ時、まずビィジュアルな映像的なイメージとして浮かんで来てしまう。 サブカルチャーである漫画やアニメに馴れ親しんできている今の若者などではその傾向はいっそう強いだろうと思われる。 現在村上春樹の小説は日本だけでなく世界中の若者に支持を受けている。 彼の一連の作品も、特に最近の作品である「アフターダーク」や「1Q84」などはますます劇画的傾向が強くなっていると思う。 それは背景描写がビジュアルに描かれていると言う意味ではなくて、何というか・・・ビジュアルな劇画調のストーリィがまず出来て、それを文章化して作品化されていると言えるような気がするのだ。 それゆえ昔からの芥川賞系というか、正当系文学いわゆる純文学系の文学ファンからは村上の作品は文学としては異端とまでは言わないまでも、一段下位に見られたりしているようである。 しかし、現代の若いファンから圧倒的な支持を受けているのは村上春樹の側であり、しかも日本だけにとどまらずそれは世界的な傾向なのである。 マスメディアの発達や、アニメや漫画の支持者の増大とともに、人間の認識が劇画調にビジュアル化するというこの傾向はますます強まって行っているような気がする。  それは人の発想や考えがイメージ化することであり、そのイメージ化の中から行動が現れることで、起きる特異な事件がそのように行動化され劇画化したビジュアルな背景を持つものになる。 そして、そのような背景を持って描かれたり、書かれた作品がよりリアリティを感じるということがさらに当たり前になっていくようである。