「石の微笑」

 二日前に点滴を入れているのだが、今回は同時に飲んでいるデカドロンというステロイド錠がよく効いているのか、体調はかなり良好である。 先週はそれが抜けた明日の夜あたりが副作用の足の痺れや痛みが最悪の状態になったのだが、今週はどうなんだろう?
 先週はじめの朝方から鶯が鳴き始めている。 マンションの裏手がすぐ山なので、山伝いにやってきて鳴いているのだろう。 今日もウラウラとした天気だが、大陸から黄砂が飛んできているので天気はボンヤリとしている。 マンション内の桜の蕾ももう大分大きく膨らみ、今週中にはぼちぼち咲き始めるだろうが、これらすべてが春が来たことを知らせてくれている。

 ケーブルテレビでフランス=ドイツ映画の「石の微笑」というのを見た。 見終わった後には、なんだこんな映画!と思ったのだが、その後今どきの婚活について書いているうちに、この映画についての見方が少し変わってきた。 監督はクロード・シャブロルという映画監督で、昔のヌーベルバーグの頃から活躍していたというから、オフたちより年上でもうかなりの年配だろう。 ミステリィ風な作品が得意らしいが、オフはこれまで彼の作品は見た記憶はないと思う。
 ストリィーは妹の結婚式で知り合った女から、あなたは運命の相手だといきなり告られた上に迫られて、二人はたちまち関係を結ぶ。 男フィリップは小さなリフォーム会社に勤めている営業マンで、なかなか如才ないところのある青年なのだが、どちらかといえば真面目すぎるきらいのある現代青年だ。 ところが相手は謎めいた女であり、ある時男に真面目半分に四つのお願いをするのだが、その内の一つが人を殺して、というのであるが、そのあたりから話しが俄然ミステリィ調になってくる。 その後フィリップはたまたまTVで見た浮浪者の死を、実はあれは自分がやったんだよ、と女に出まかせの話をする。 それを真面目に受け取った女も、あなたが非難していた男を私も殺したわ、と言い出し二人はバスルームに行くと・・・   
 たまたま出会った女からあなたは運命の人だわと言われて関係を持つ、あまりにも唐突な展開のだが・・・まあ映画だからそれもありかだが・・・現実ではそうはいかないだろう、まして真面目な現代青年の意外性の少ない今の世の中の現実の中では・・・
 今生きている現実、たいてい自分自身が歩んでくる過程で知らず知らず作り上げてしまった決め事に縛られている現実という意味なのだが、そんな中に人は生きている。 その人なりの成功や失敗の過去があり、それがこれがわたしのスタイルよとか、ありのままの私よ、とかを作っていることになるわけだ。 そんな自分の現実から簡単に人は自由になれないものである。 それがたとえば百万円貯まったら他所へ行く、と言うことだったりするのだが、それの良し悪しは別にして結局そんなことに人は縛られているわけだ。 だが、それが他人との出会いの中で、それって少しおかしいのじゃないの?とはならなくて、相手言うスタイルをに合わせて、そのスタイルを尊重して受け取ってくれる真面目な現代青年が相手だったとする。 そんな相手がホームセンターに勤めるボタニカルな草食系男子だったとすると・・・自分の思いを相手にぶっつけ、自分の気持ちをさらけ出そうとすることにはなかなかならないだろうなぁ。 ネタバレにならないためにも話しをここで止めておくが、その結末は何となく見えてくる・・・「百万円と苦虫女」は今の時代を切り取る絶妙な設定がなされていたなぁ・・・と今さらながら感心している。
 一方「石の微笑」では<運命の人>との出会いなどという唐突な設定をしたのだが、その後の両者の現実離れした大混乱振りは・・・それもありだろうなぁ・・・となんとなく思えてきた。 人と人の出会いというのは、どんなに平凡そうに見えても実は遇有性でありドラマチックなものなのだ。 だってこれまで作り上げてきたお互いの殻,(自我)というものを、突き崩していく作業を始まることであり、お互いの自我がぶつかり合いということだからだ。
 それが激烈にしろ静かにしろ、否応なしにそのような作業が行われるはずだからだ。 それはまた男と女の出会いの時だけに関わらず、それまでは何となくつつがなく過ごして来たが、中年になり突然不倫や浮気で顕在化するということもあるだろう。 高度化した資本主義社会のなかで過剰に守られ、やや脆弱ともいえる自我を持つ今時の若者たちが、相手を尊重するとか、思いやるとか、優しくするとか、愛し合うとか・・・それが現実の中でどのようになされているのかについて、いろいろ考えさせてくれたよい映画二本だったと思う。