惚れた女のために・・・

 今日受診した。 採血採尿の結果は前回に続いて白血球→52、血小板→11・5と数値としては悪くない。 トータルプロテイン、つまり血液中の蛋白値も6・0と低めに抑えられている。 先の月曜日の夜に足に痺れと痛みが強く出てよく眠れなかった、と報告すると医師は困ったように少し眉をひそめて、今日どうします?と聞くから、点滴は受けます、と答えた。 点滴の前後に相変わらずデカドロン40錠を飲んでいるせいで二、三日は副作用は抑えられるだろう。 問題はそれが切れる次の月曜日あたりだ。
 先回の婚活の話しの続きになるが、息子によると今時の婚活とは、サイトに新たに入会してきた男女がメール上で自己紹介を行い、それに対して既存の会員がメールを送る。 送られてきたメールを見て気に入った相手に返事を返す。 そのようにしてメール交換したりされたりしている内に一度会いましょうとなる。 そこで食事をしたり映画を見たりというコースに入る訳だ。 息子に聞くとそうなった時は勘定は基本的にワリカンなのだという。 オフたちに時代には男女の付き合いの支払いは一般的に男が持つことが多かった。 男女の平等感がオフたちの時代より進んでいる今では、ワリカンするのはたしかに不思議でもなんでもないだろう。 たしかにそうなのだが、対等な関係というのは一般的に言って、なかなかそこから一歩出て進展していかないものである。 どんな関係でも、関係が進展するためには誰かがリスクを引き受ける覚悟がいるのである。 ひと頃出来ちゃった結婚というのが流行ったが、これなども結果として男の側がリスクを引き受けることで、両者の関係が一歩前に進んでいくという例であるだろう。 オフがまだ若い頃、女に恥をかかせるな、という言葉がまだ生きていた。 これを裏返せば、男が女を口説きたかったら恥をかくぐらいの覚悟がいるものだ、という風にオフは受け取っていた。 思春期以降の頃というのは自我が固まっていく過程で、それなりに自尊心が強くて男も女も自分を安く見せることは厭うものである。 まして昨今の傷つき傷つけ合うことを忌避してきた世代では、わざわざ恥をかいてリスクを引き受けるなどということを避けて当たり前なのだろう。 加えて二十歳途中頃に結婚した昔と違って、たとえば高学歴の女性が社会に出て三十歳までキャリアを積んだとすれば、三十歳時点での自分の中身は、二十歳の自分よりも量・質ともにずっと重く・豊かになっていて当然である。 つまり、収入、キャリア、仕事の面白さなどがそれだけ増しているだろうから、結婚によってそれらを簡単に失いたくはないという気持ちも強いだろう。 これを今風な女達の言葉になおせば<ありのままの私を受け入れて欲しい>ということになるのだろうか・・・当然のことながら、これでは男も女も<相手に熱くなる>というお馬鹿なリスクを取ることには決してならないだろうなぁ・・・
 <惚れた女のために命を賭けるのが男ちゅうもんなんやでぇ>と粋がっていたのが、たしか極道シリーズの中で若山富三郎が吐いていたセリフだったと思うが・・・こんなアホといえるほどの純な男も昔にいたのだがなぁ・・・(笑)