軽ソウからウツへ

 昨夜あたりから足に痺れとピリピリとする副作用の痛みがかなり出てきている。 このまま痛みが高じれば痛み止めを使うことになるのだろうが、ボルタレンなどを使えばさらに胃腸がおかしくなる副作用が出てくるだろう。
 アッチャンの葬儀から2週間少し経った。 この間嫁さんは軽いハイ状態が続いていて、暇さえあればオフにアッチャンの過去の悲喜さまざまな思い出などをオフに語り続けていた。 ところがここ三日ほど前からは軽い躁状態からウツに転換した。 話しをしながら突然涙を流したり、泣かないまでも一人で、アッチャンは40年も病気で苦しんだのよねぇとか、20年も病院暮らしだったわとか、独り言を言いながら何度も何度も大きなため息を付いている。 さいわいパキシルという抗うつ剤デパスという軽い精神安定剤が手元にあるので、それを飲むと少し治まっている。
 アッチャンは嫁さんの一つ年上の年子の兄である。 お産の時母親が破水したのにもかかわらず、意地悪な姑に気を使ってすぐに医者に見せなかったという。 それが原因かどうか分からないが動作ものろく身体もひ弱だったらしい。 そんなこともあってまわりからよく虐められていたようだ。 思春期にはいると誇大妄想に囚われ突然生徒会長選挙に立候補したり、夜中に素っ裸で焚き火をしていたりするような突飛な行為が出て来たりして病院へ入退院を繰り返していたが、三十台半ばから強度のウツ状態で病院から出れなくなる。 

 オフも前の奥さんが亡くなった後、軽そう状態が四十九日を通り越して二か月あまり続いていた。 その後北陸は遅れていた雪が急激に降り始め、雪に閉じ込められ一人で過ごす鬱陶しい日々に中に、少しずつウツ状態に入っていった。 自分では覚えていないが、その頃電話してきた友人がオフが少し辻褄の合わないことを言っているなぁと気づき、これは・・・と思い約束していた四国への旅行を早めることにしたと言う。 四国ではまだ二月だったが、黄色い菜の花やピンク色の彼岸桜の強烈な匂いでウツ状態から少し這い出せた。 と思ったのだが、帰り道で滋賀県から福井県にかけ道路の両側に雪が段々うず高くなって来るのを見るにつれて、再び気分は沈んでいってしまった。 今にして思えば、最初軽いそう状態の時には心の奥底に渦巻いていたのは怒りの感情だったように思う。 何で自分一人が突然取り残されねばならないのか!という何か分からない理不尽さへ向けた怒りの感情だったように思える。 その後山の家の改築に一人で脇目も振らず三年間没頭したことが少しずつ心を安定させていった。