歴史に<もし>はないのだが・・・

 先週末点滴の薬を減らしてもらったが、その後も体調は良かったり悪かったりで、とくに昨日は軽い下痢症状が続き何することもなくダラダラと一日を過ごしていた。
 ヨーロッパによるアジアへの植民地支配というのは15世紀に始まっている。 ポルトガルヴァスコ・ダ・ガマがヨーロッパとアジアとの航路、アフリカの喜望峰経由の東回りインド航路を発見したのが始まりだったと言ってよいだろう。
 ≪インド航路を開拓したことで歴史に名を残したポルトガルヴァスコ・ダ・ガマ(1469頃-1524)は、その航海の途中で頻繁に海賊行為を行っており、様々な必要物資を武力で現地調達することに何の戸惑いも持っていなかった。 ちなみにヴァスコ・ダ・ガマ東インドとの攻撃的な貿易によって巨万の富を獲得し、ポルトガル有数の大富豪にまで上り詰めた人物でもある≫ 「大航海時代」より
 ポルトガルは当時インド洋周辺で行われていたイスラム商人と現地の人々との間の物々交換による交易の道を選ばずに、武力を行使して威圧・占領する“支配者”となる道を選び、海上貿易と船舶の交通を支配するという強硬的な手段で富を獲得していったのである。 当時16世紀頃のヨーロッパは産業的には後進的地域といってよく、アジア地区と物々交換による貿易しようにも、全く交換価値の高い商品(特産物)を持っていなかったというのが実情だった。 ポルトガルはインド洋海域・マレー半島沿岸の重要な貿易拠点を次々に軍事支配していて、16世紀は『ポルトガル海上帝国の時代』と呼ばれていた。 日本の種子島ポルトガル人によって鉄砲が伝えられたのもその頃のことである。
 ポルトガルに遅れてアジアへ進出してきたのはイギリスとオランダだった。 両国は東インド会社を拠点にしてアジア支配を強めていっている。 東インド会社は、占領・搾取のみを目的とする軍事機構ではなく、飽くまで貿易・侵略も含めた利益の最大化を求める企業体であり、相手の武力・抵抗力を見て侵略か貿易かを使い分ける現実的な判断を持っていた。 オランダの東インド会社は、軍事力の弱い王国・政府しか存在しないインドや東南アジアではやりたい放題の乱暴狼藉や奴隷的搾取、自由な拠点の形成を行ったが、軍事力が自分たちよりも強いと見た中国(明)・日本の沿岸部ではかなり慎重な貿易姿勢を選んでいる。 オランダ東インド会社の軍事力は、17世紀の中国や日本ではそれほどの脅威とはならず、日本では1641年に徳川幕府の命令に従ってその活動拠点を長崎の出島に制限されていたし、1662年には鄭成功率いる中国人の軍隊によって東インド会社は台湾の貿易拠点から追い出されたりもしている。 この当時はまだ東洋と西洋の兵器水準に大差がなく、戦争になったとしても中国・日本が一方的にヨーロッパの国々に打ち負かされるような危機感は無かったのである。 むしろ、戦国時代を経由して余剰兵力(武士階級)を抱えた日本は、当時の西欧の兵器・軍備の水準であれば、オランダ本国と遜色なく戦えたぐらいであった。
 ヨーロッパ諸国やアメリカの軍事力・技術力が東アジアにとって真の脅威となるのは、イギリスの産業革命を経た帝国主義の進展段階においてである。 中国では対イギリスのアヘン戦争の敗北、日本ではアメリカのペリー艦隊(黒船)の来航・不平等条約によって西欧列強の侵略に対する不安と懸念が一挙に高まっていく。 その結果、日本では尊皇攘夷が叫ばれ、徳川幕府が瓦解して明治維新へとなだれ込むのである。
 現在NHKでは「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」などなど、司馬遼太郎が描いた明治初期の日本人が抱いていた危機感、日本が西洋諸国によって植民地化されるのではないかという歴史的危機感の物語を盛んに取り上げている。
 もちろん歴史の<もし>はないのを承知で言うのだが、司馬遼太郎も書いているが当時の若い日本人が最も危惧していたこと・・・もし日本が当時西洋列強と争って敗北し、事実上植民地となっていたとしたら・・・ すでに日本が幕末期において国家意識というかナショナリズムというか、尊皇攘夷というスローガンで盛り上がっていたことを踏まえれば、占領、植民地化となれば日本の各地でゲリラ的抵抗が組織的に行われたであろうことは容易に想像できる。 むしろそのような戦いのなかで国家の独立を獲得、みずから掴む国家観を築き上げていれば・・・もう少しましな、とは言わないまでも、現在のような外圧や、上からのお仕着せに今ほど弱い国民性はなかっただろうと思うのだが・・・ また、日本が主導して西洋列強に対して中国や朝鮮の後押しをして独立を推し進め、アジア共栄圏的な独立国拡大するような方向に向かっていた可能性も大いにあっただろう・・・ まあ、そんなことを言い出してもしょうがない。 <もし>はなかったのだから・・・
 幸いか、不幸か、外圧の危機感を上手く利用して短期間で倒幕・明治維新を断行することに成功した日本は、その後脱亜入欧の精神で国家機構の近代化(富国強兵・殖産興業・国民教育)を急いで、自らも西欧列強と横並びにアジア地域に帝国主義国家としての権益獲得に加わり、最後は太平洋戦争の悲劇へ向かう道を突き進むことになった。