ガン細胞の誕生

 抗がん剤の点滴を一回見送ったのだが、その後激しい下痢は治まり体調は徐々に回復している。 が完調かというとそうでもない。 まだほんの少しだが胃腸に違和感が残っている。 明日また病院へ行き採血、採尿を行い、診察を受けて点滴を受けるかどうか医師と面談の上決まるのだが、まあ今のところは点滴を受けようと思っている。

 たまたま検索したアポトーシスネクローシスについて書かれていた文章があったのだが、それを以下に記す 
 ≪アポトーシスとは、いわば「きれいな死」といえます。細胞核だけが破壊され、細胞の縮小化が進みやがて死に至るので、細胞壁を傷めたり他の細胞を傷つけることがなく、正常な細胞へ悪影響を与えません。 一方、ネクローシスとは、いわば「きたない死」です。細胞全体が殺されて飛び散るように死に至るので、細胞膜を壊してしまい、死んだ細胞から酵素が飛び出し、正常な細胞を傷つけてしまいます。 免疫力が活性してガン細胞などの「悪い細胞」を死に至らしめた場合、アポトーシスへ導くので、正常細胞に悪い影響が起こりません。 よって、免疫療法的な治療法は、今日明日という超短期での成果が期待しづらい反面、根治が期待できる治療法であるともいえます。 一方、抗ガン剤や、放射線などにより、化学療法によりガン細胞などの「悪い細胞」を死に至らしめようとした場合、そのパワーが強力であるというメリットはあるものの、細胞は、ネクローシスにより死を迎えるケースがほとんどなため、正常細胞が傷付いてしまいます。 なので、化学療法は対症療法的な面が拭えず、ガン退治をした場合、激しい嘔吐、脱毛、激痛、その他相当な副作用に襲われてしまうと考えられています≫

 化学療法、つまり抗がん剤治療に対する拭いきれない違和感はすべてこの避けられない副作用に起因している。 そして現在のがん治療のほとんどの場面で用いられている副腎脂質ホルモン、ステロイドつまり免疫抑制剤に対する違和感も背景にある。
 免疫というのは本来自己を守ってくれている大切な砦なのであるが、その砦のガードをわざわざ下げて、自己でないもの、自己にとって異質なもの、自己にとって悪いモノ・・・を体内に入れることによって体内に出来たワルモノである癌を退治する・・・それをガン治療と言っているのだが、それ自体が自己矛盾を起こしている。 体内に備わっている回復力とか治癒力を当てにしない治療、というかかえってそれが管理上邪魔になる場合もあるというようなおかしな治療なのである。 このことにについてはいずれまた書くにして・・・今日はガン細胞がどうして出来たかにつて書いてみる・・・

 これまでこのoffer61の日記で癌については二度ばかり考えを書いていたと思う。 一度目は日記を書きはじめの頃で、つまり多発性骨髄腫と診断されその症状が急激に進みがんセンターへ入院した頃の癌に対する考えで、たしか<癌は椎茸である>というようなタイトルで書いていたと思う。
 そして二度目は苦しかった半年間に渡る一連の治療タンデム(二度の幹細胞自家移植)が終わりようやく退院出来た頃で、少しおおげさに<癌は病気ではない>というセンセーショナルなタイトルをつけて書いていたと思う。 それぞれ書いたその当時のオフの考えを精一杯まとめて書いたものであった。 そして今回、意外に早かった再発を受けて癌について再び書き始めようとしていて下痢が始まり体調を崩してしまった。 書きかけのままになっていた癌についてだが、あらためて現在の癌にたいするオフの考えの現在を記しておく。 今回は考えが進んで癌がどうして発生したかという問題、つまり癌の起源について書くことが出来そうなところまで考えが来たと思っている。
 これまでは癌に対しての考えは、癌細胞が発生して、ついにはその宿主である生きている個体の細胞にダメージを与えて、個体そのものの死を迎えてしまい癌細胞も共に死んでしまう、結局は馬鹿な癌であることよ、というところで話は尻切れトンボのように終わるしかなかった。

 それではガン細胞の発生についてだが、細胞が何らかの原因で危機的な状況に陥った、と言うか、何らかの原因で細胞が死ぬしかないという危機的な状況と言うか環境が出現したことまず想定することから始まる。 たとえばその状況と言うのは、それまで細胞が増殖するために外部から取り込んで餌としていた栄養がまったくなくなったとか、あるいは、細胞が生きるために必要な酸素が供給されないような究極的な危機状況が出現したことが想定される。 そのような状況と言うか、環境の変化の中で細胞がみずから生き延びるためにどのような手段をとったのか・・・最終的な究極の手段として自己を栄養源として提供することであったのではないだろうか・・・そのような危機的状況のなかで細胞がさらに生き延びるために、細胞自体を餌にして新たに生き延びる細胞を作り出して、その新たな細胞を生き延びさせるという窮余の方法が生み出されることが考えられる訳だ。 そしてその新たな生き残りを掛けた窮余の細胞がガン細胞の発生ではないかと・・・今回考えたのである。 しかしこのような方法で細胞はどこまでも生き続けることは出来ない。 当然のことながら元になる細胞が尽きれば新たな細胞も生き延びれないからである。 だがそれでもよしとしてこのような手段をとったのではないか、というかそこまで切羽詰って追い詰められていたということだろう。 そのように窮余の策で生き延びていたが、何らかの原因で再び環境の変化が起きて、餌になるような栄養がもどった・・・あるいは酸素が再び供給されるようになった。 その時点で元になる細胞ガン細胞に変化することで生き延びる必要性はなくなり、その戦略は放棄されるのだが、再びそのような事態が出現した時のためにその戦略は隠して残された・・・それが生物のガン細胞として残ったのではないか・・・そしてある種のストレスとかのマイナス状況でそれが突然復活される・・・それが細胞のガン化ではないのだろうか・・・というのがオフの今回のガン細胞の発現とガン細胞の存在の仕組みの推論である。これだとガン細胞になぜアポトーシスがないという事実にたいしても説明が出来る。 簡単なことである。 どこまで生き延びれるか分からない細胞にわざわざアポトーシスなど面倒なものを組み込む必要がなかったからというのがその答えなのである。

 <ガンは椎茸?> http://d.hatena.ne.jp/offer61/20080911/1221629490
<癌は病気ではない> http://d.hatena.ne.jp/offer61/20090408/1239189220