テロ戦争の行方

 昨日がんセンターで受診したが正月明けでずいぶん待たされた。 年末に風邪を引いて少し胸の周囲に痛みが出ていて、スワ!骨病変の再発か、と心配していた。 そんなわけで今日の採血の結果がどう出るか気になっていたが、グロブリン値を示すIGGの結果は後日になるが、結果はTPつまりトータル・プロテイン値が5・8、白血球が33と標準値より低く、血小板が15・1。 正月を挟んで二週間以上も点滴期間が開いたので、血小板値は何と標準値内になっていた! ということでまずは一安心して4クール目の抗がん剤点滴が始まった。 例によって点滴の前後デカドロン(ステロイド)40錠飲んだにもかかわらず、昨夜は安心したこともあってなんなく気分がよくて眠れそうな気がしていたが、その通りで12時ごろから2時ごろまで眠り、その後も寝汗をかきながらもウトウト出来た。 相変わらず手足は痺れていて身体も疲れやすいが、今のところベルケイドは順調に効いているようだ。
 台所のキッチンカウンターや収納ダスト・ボックス、レンジ台などは全部揃ったので、簡単なモノを置く棚とフライパンや鍋などを掛ける鉄製のネットをホームセンターで買ってきた。 これら全部設置が終われば、後はキッチン用品や内部の収納品などをオフ様仕様に全部入れ替え大移動する予定である。
 今日もまたニュース・ネタをを取り上げる。http://sankei.jp.msn.com/world/america/100105/amr1001052009012-n1.htm
 昨年末にアフガニスタン東部の米軍の中央情報局基地で起きた爆発、その爆発でCIA関係者7人が犠牲になったが、その自爆テロの実行犯がCIA工作員を装った二重スパイだった・・・というニュースを取りあげて考えてみる。
 ブッシュ大統領第二次世界大戦後それまでアメリカに敵対していた日本が、民主国家として再出発をしたのを例に取り上げて、アフガニスタン民主化という大儀を掲げて戦争を仕掛けることの理由にしていた。 たしかに戦後日本は新しい憲法のもと民主国家として再出発をした。 が、その内実は細部を見ていくとかなり異質のものである。 それは根底に個人の自由を是とした欧米の民主主義とはかなり異質であって、集団の和を是とする民主主義とでも言い換えればよいだろうか・・・。
 まあ、そのことはそれとして・・・イスラム経を文化を中心に据える中近東地域に、武力を背景に欧米流の民主化を押し付けても失敗するだろうことはこれまでの両地域でのキリストとイスラムとの歴史を見ても明らかだった。それをこれまでの歴史のなかで熟知していた当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ二世はイスラムと決して戦ってはいけないとブッシュに強く警告していた。 結果は明らかで、イラクでは一応アメリカ寄りの政権を打ち立てインチキな総選挙をしたが、閣僚も内部争いで決まらないままつい先日も100人弱の犠牲を出す大規模なテロがあったばかりだ。オバマに代わったアメリカは今はただただイラクを見捨てて戦力を尻に火が付いたアフガニスタンパキスタンへ移動しているが、すでに三年後の撤退を発表している。 当地の紛争を理由にアメリカの大儀を掲げて紛争に介入して、武力や資力を背景に影響力や利権を狙ったり理念を押し付けるアメリカ流覇権主義ベトナム戦争ですで大失敗していたのだ。 その結果が21世紀に入り911リーマンショックとして顕在化した。21世紀に入って世界は20世紀のやり方に後戻りはしない。 今後世界は緩やかにブロック化するか、先進国に新たなBRICsを加えた集団指導型の世界連邦つくりに動き出すか今のところ予断を許さない。
 さて、話をアフガンに戻そう。 ニュースによれば≪この犯人はアルカイダとCIAとの二重スパイで、かつてイスラム系の雑誌のインタビューに応じた際、ときおり興奮しながら聖戦の重要性と殉教の素晴らしさを熱っぽく語り、子どものころから殉教にあこがれていたと話していた≫とある。
 周囲に戦いと危険、飢餓がいつもあるような国・地域で生まれ、自国(自民族)のために戦って敵を倒すことが正義だと教えられた人々、とくに幼少期からそのことを嫌と言うほど見聞きして育った子どもたちは、<集団維持の価値観>と<自己の倫理観>を区別することが難しくなると言われている。 自分の意志によって時には自分の命に関わる選択すらも、帰属する集団社会の論理や利害に従う生き方にならざるを得なくなってしまうのである。 このことは日本も決して偉そうなことは言えない。 戦争中は<生きて虜囚の辱めを受けず>と教育された日本兵は、捕虜になることを恥として玉砕の死を選んだ。 また上官から示唆され特攻死を多くの若者が選び亡くなっていった。 現代のテロ戦争で地域で限定的な武力を行使すればするほど事態は悪い方向へ向かうだけである。 グローバル化の名のもとの単一価値観の押し付けではなくて文化や宗教の違いによる各ブロックでまとまり安全保障化の動きが生まれてくるのは自然な流れなのである。 ましてアメリカは圧倒的な軍事力や経済力を背景にグローバル化の名のもとに民主化や自由化掲げるが、その実アメリカンスタンダードを背後に隠したダブルスタンダードで臨んでいるのである。 その嘘臭さを後進国の人々は誰もが見抜いている。 昨日の茂木健一郎氏のブログにある体験談が載っていたので以下に引用しておく。
 ≪通路をはさんだ隣りの席にはアメリカ人が座っていて、携帯電話で熱心に話していました。(ご存じのように、アメリカやヨーロッパでは、ドアが閉まる前までは携帯が使えるというポリシーが多いですね。どのような文化的差からくるのでしょう)。
 ふと顔を見上げると、私たちの前方に、乳飲み子を一人ずつ胸に抱えた母親と、お婆さん、それに5歳くらいの男の子が立っていました。私の乗った飛行機は東京経由でバンコックまでいく便でしたので、どうやらタイの人たちのように思えました。アテンダントが、私の通路越しの隣人に、「あそこと席をかわってくれないだろうか? 家族の人たちを一緒に座らせようと試みているのだ」と話しかけました。隣りのアメリカ人は、まだ携帯電話で話しながら、「ああ、いいよ」と答え、足元の新聞をまとめはじめました。
 アテンダントは、すこし前のほうの席を指して、「君はあそこに座ればいい。男の子と君は、こちらに座って」などと言いました。つまり、まだ席の数が足りないので、家族は離ればなれになってしまうのです。そういわれて、「ほほえみの国」から来た人たちは途方に暮れているように見えました。アテンダントは、男の子に、「君は何歳だい?」と聞いています。一人でも座っていられるだろうか、と心配していたのでしょう。
 私は、そのような様子を見ていて、だんだんいたたまれなくなってきてしまいました。たまりかねてアテンダントに「私がそっちに移るよ」と言いました。アテンダントは私に謝意をしめしたあとで、家族に向かって、「それじゃあ、君たちは一緒に座ることができる」とにっこり笑いました。
 通路をはさんででも、家族が一緒のほうがよいに決まっています。
 前方の通路側の席に移ると、窓側にはどうやらアメリカに長く住んでいるらしい日本人の女の子が座っていました。彼女は、熱心にアメリカのスターの写真がたくさん載っている週刊誌を読みながら、サラダを食べていました。離陸前にサラダを食べる人というのは珍しかったので、印象に残りました。
 うしろの席の窓側の、うこし太った中年のアメリカ人女性が、「彼らはいったいどうやって予約をしたの?」などと、大声でとなりの人に話しています。どうやら、あのタイの家族のことを非難しているようでした。私は、すこし嫌な感じを抱きました。心細い異国からのフライトで、家族が一緒にいるために、少々めんどうな手続きがあったとしても、なぜそのことに目くじらを立てなければならないのでしょう。≫