沖縄の明日

 今日のニュースに以下のようなのがあった。
 ≪鳩山首相は26日、沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題について、米領グアムを新たな移設先とするのは困難だとの考えを表明した。現行計画に基づく同県名護市辺野古に代わる移設先として、これまでに浮上している国外の候補地はグアムしかなく、首相の発言は事実上、移設先を「国内」に絞る方針を示したものだ。≫
 普天間の米軍基地問題で問題をここまでねばって引き伸ばししてきた首相だが、日本からの米軍の基地撤去という選択はあきらめたようであるが、まことに残念なことである。 今日はもう一度現在の注目を浴びている沖縄について思いつくまま書いてみる。
 オフがまだ20代の学生だった頃、沖縄は太平洋戦争で米軍に上陸占拠されその後アメリカ軍による統治が続いていて、沖縄は日本の領地ではなくて、日本人は沖縄へは現在のように手軽に行き来できなかった。 70年の日米安保条約の延長の後、沖縄が日本に返還されたのは72年だった。 当時全共闘の端くれだったオフたちが当時この沖縄の問題について議論した挙句、たどり着いた結論が沖縄を日本に返還してもらうのではなくて、沖縄を独立させようぜ!という結論であった。 それが苦汁を舐めてきた沖縄の住民にとってもっとも幸せへの近道だと結論付けたのだった。  
 そして当時盛んに言われていた沖縄返還ではなくて、今こそ沖縄の独立を!という勇ましいスローガンを叫んでいた。
 沖縄の歴史を見ていくと、琉球王国、島津侵入、両属、琉球処分、という沖縄の人々がそう名付けている歴史を端的に言い表すキーワードがいくつか浮かび上がってくる。
 沖縄では明代初期の1372年に琉球王国が建国され、この頃に沖縄の象徴ともいえる首里城が築かれている。 だが王国の正体は明の海外貿易の一部を代行する経済利得権を持っている中国の冊封国(属国)であった。 だが沖縄はこの時点では形式的にはどうであれ、実質的には琉球王国という独立した琉球という国家であった。 続いて江戸幕府ができた直後の1609年に薩摩藩(島津)が攻めてきて、沖縄は征服され、琉球薩摩藩(日本)に力で服従させられた結果、中国の明と薩摩藩の両方の属国になる。 これがいわゆる「両属」といわれている状態なのである。
 さらに明治維新後の1879年、日本はアジア進出の第一歩として、琉球の両属状態を否定して、琉球王国を廃止して沖縄県を置き、完全に日本の国内化してしまった。 これを日本による沖縄の「琉球処分」と言われている。 さらに太平洋戦争で日本国内で唯一戦場となり、住民などが10数万人が戦闘などに巻き込まれて死亡していることも沖縄にとっての忘れられない近現代の悲劇である。 結局これら沖縄の近世の歴史を見ていくと、一番沖縄住民にとって幸せだったというか、自信を持てていた時期は琉球王朝時代であっただろうと思ったから、沖縄独立!という方向性が生まれた。 重要なのはそこに住む人々がどうすれば一番生き生きと元気を出して幸せに生きていけるか、なのである。
 現在は沖縄は東京から遠く離れた日本の僻地である。 日本でももっとも生活水準が低いのは中央である東京から遠い北海道、青森、高知、宮崎などなどであるが、その中でも沖縄が生活水準値が際立って低い。これは何も日本に限ったことではなくて、世界各地どこでもそうなのである。 それゆえチェチェンとかウイグル地区とか、クルド地区とか僻地地区では紛争が絶えないのである。 僻地は大国というか中央集権的な力の狭間にあって常に中央によって搾取されている構図は、世界各地でほぼ同様だからである。 そんな狭間の僻地がもっとも生き生きと出来るのはそれらの大国の力のバランスを両天秤に掛け、それらの力を上手く利用した時である。
 それともう一つ僻地はまた両大国の文化や価値観が混ざり合う所でもある。 文化や価値観が混ざり合い、融合することで新しい独自の文化や価値観が生まれるところでもある。 そう意味では狭間は新しい何かがいち早く勃興してくる場とも言えるのである。 文化とか歴史の転換は決して中央から起きるのではない。 中央から遠く離れた僻地からそれは起きてくる。 なぜなら中央では常に既存の既得権にしがみつくことで自分たちの利権を守ることで事足れているからである。 新しい動きというのは常に僻地の疎外された人々から、利権を剥奪された不満の人々を住処にして生まれてくる、そんなパワーを内に秘めているからこそ、既存の秩序を突き破るのである。
 そういう意味で沖縄こそは現在も中国などアジアとの深いつながりを利用した日本の先端モデル地域になれる地区と考える。 そこは「自立・独立」「一国二制度」「東アジア」「歴史」「自然」などのキーワードを掲げることが出来る唯一潜在的なパワーを持った地区だともいえる。 沖縄は経済面で日中両属(一国二制度)に戻り、琉球処分以前のように日本本土とは異なる手法で、中国や東南アジア諸国との経済関係を築いて発展する・・・それが実現すれば、米軍が去った後の経済損失を埋めて余りある宝が掘り出されるだろうと思う。 沖縄の歴史のことを知れば知るほどそのように思えてくるのである。
 しかし、一方この沖縄の構図と位置関係は少し視野を広げ、もう少し長いタイムスパンを取って見てみれば、将来的な日本の置かれている構図や位置関係と相似形となって見えてくる。 すなわち近い将来中国とアメリカとの狭間の位置に置かれている日本の姿と二重写しとなって浮かび上がってくるのである。
 戦後日本は軍事的には対米依存で来たが、それはそれなりの成功を収めてきた。 現在日本人の多くはその成功体験の思考法の中に浸かっている。  マスコミもまた、「米国に逆らうな、対米従属を続ける限り日本は安泰なのだ・・・日本独力では、中国や北朝鮮の脅威に対応できない」 などというこれまでの枠組みの中で論点を展開している。 冷戦が終わり、米国のイラクアフガニスタンでのテロ戦争も明らかに破綻していることが明らかになっているにもかかわらず・・・である。 冷戦時代の思考法のままの、日本の対米従属が日本の国益に合っていない状態になっているにもかかわらず、日本のマスコミは対米従属をやめたら日本が破滅するかのような価値観を相変わらずプロパガンダしている。 そして多くの日本人がこれまでの成功体験の思考のまま、その非現実的な価値観のまま、先を見ようともせず不安に取り付かれ良かった後ろばかりを見ている。
 20世紀唯一の覇権国家となったアメリカはその抜きん出た軍事力や経済グローバリズムを背景にして、アメリカの価値観で世界を統合しようとした。 アメリカンスタンダードの一元的な価値観や支配の押し付けである。 だが今誰の目にもここへ来てその破綻が明らかになってきている。 21世紀に入って01年の9・11に続いて、08年のリーマンショックと続き、第二次世界大戦以降続いてきたアメリカの覇権がここへ揺らいでいる。 一時は成功を治めたように見えたアフガンやイラクのテロ戦争もここへ来て撤退を余儀なくされている。 また、経済的にはおそらく近い将来アメリカ単独で基軸通貨であるドルを支えきれなくなり、ドルは基軸通貨から滑り落ちるだろう。
 21世紀世界は20世紀とは違うパラダイムで動くだろうと言われている。 それが文化圏を一つにするゆるいブロック化である。 今後世界は多極化して、いくつかの地域的なブロック化の時代が来るというのだ。 そうだとすると今後ヨーロッパがユーロ圏を作ったように東アジアでも中国を中心にしたブロック化が形成されていくことが当然考えられる。 その範囲は中心に中国を置き、西はミャンマーから東は日本までの儒教文化圏であるだろう事がおおよそ予測できる。 ようはどのような範囲であろうとも、そこに戦争や紛争がなくなってそこに住む人々の安全保障が確保されていれば、そこに住む人々は安心して生きていけるのだということなのである。 そう考えた時に、われわれは日本の最先端地区である沖縄から、そろそろアメリカの世界支配象徴である米軍基地を撤去する時期が来ているのだと認識を新たにせねばならないだろう。