鳩山内閣について

 今年の衆議院選挙で民主党が多数を取りそれまでの自民党から民主党へと政権交代が行われた。
 その後三ヶ月あまり経過したがオフが思っていたより民主党は良くやっていると思っているのだが、今日のニュースに以下のようなのがあった。
 http://www.asahi.com/politics/update/1220/TKY200912200296.html
 ≪鳩山内閣の支持率は48%で、前回調査(11月14、15日)の62%から大きく下落した。不支持率は34%(前回21%)。鳩山首相がリーダーシップを発揮しているとは「思わない」人が74%に達し、内閣不支持の人の半数が理由として「実行力の面」を挙げた。≫
 どうやら支持率が下がっているのは、この新聞によると鳩山首相のフィーダーシップの欠如と実行力のなさにあるとされているらしいが、鳩山氏は当初思ったよりも良くがんばっているなぁと言うオフの受け取り方とはまったく逆のようである。
 その原因は民主党が目指している社会のイメージが良く分かっていないからだろうと思われる。 そのためにはアメリカの大統領のようにもっと国民に向かってメディアを使ってでも分かりやすく説明をすることが大切だろうと思う。 リーダシップが発揮されていないという個々の政策についてオフの見方を簡単に整理すればと思うのだが・・・オフのこの問題へのスタンスや考えをとりあえず簡単に記しておくと・・・
 ●子ども手当への所得制限導入問題では、社会が高度化し少子高齢化が進む中にあって、これまでのように子供を親が育てる社会を作るのか、社会全体で子供を育てていくという社会を目指すのかという選択がまずあり、その上での後者を目指すなら子供の教育に掛かる費用は社会全体で負担していこうということになる、そうなれば個々の家庭に所得制限を儲けること自体が不要である。 親の所得の格差についてはこの問題とは別で、税収をする段階で累進課税で調整する問題なのだ、という説明が必要になるだろう。
 ●米軍普天間飛行場の移設問題に関しては、ズバリこれまでの戦後の最大のタブーを露呈する問題なのである。 具体的には今後も日本に米軍基地は必要なのか?という問題であり、日本は今後もアメリカに従属を続けていくのかいう選択の端緒になる問題なのである。 その背景には冷戦が終わり21世紀に入って政治的にも経済的にもアメリカの覇権が壊れて世界が多極化していく今後、日本がどのような国になるのが良いかを選択していく端緒になる問題なのである。
 ●この問題は数日前ブログに「民主党の戦略」として書いた地方自治の今後のあり方、進め方を考える問題でもある。 簡単にふれておくが、沖縄において普天間基地から辺野古に移転を賛成したのは地元の土建関連業の人々であり、ズバリ仕事の問題であり、ダム工事と同様中央から地方にばら撒かれる公共工事で地方が潤う、というこれまでの戦後の地方自治の名のもとに行われていた地方の政治の構図の問題である。
 ●天皇陛下と中国の国家副主席との会見の問題については、これも戦後のタブーに触れる問題だがこの問題について池田信夫氏が『天皇は超法規的存在ではない』http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51331713.htmlの中で、≪問題の「1ヶ月ルール」なるものは、法律でも政令でもなく、閣議決定さえ行なわれていない。このルールは法的拘束力のない慣例にすぎず、首相の指示がそれに違反したからといって、内閣の下部機関である宮内庁が指示を拒否することはできない。≫ と指摘しているが、この問題はまさにたったそれだけのことにすぎない。 「1カ月ルール」ができたのは、天皇陛下前立腺がんの手術を受けた2004年からだというが、それは法でもなんでもなく、陛下の体調を優先させようとその時申し合わせたことが慣例化していただけのことなのである。 そのことを逆手にとってわざわざ記者会見をしてまで政権を批判するなど論外の行為であろう。
 それよりもオフが気になるのは、宮内庁という官僚組織の異様さである。 ある時、天皇と皇太子の関係が上手く行っていないというような、発言が突然出てきたことがあったが、その時オフが感じたのはそのような発言を宮内庁の上の人物が国民に向かってわざわざすることの異様さであった。 
 皇室を管理している組織が、蚊帳の外にいる人々に向かってそのような発言をすることの言いようのない品のなさであり、そのことを少しも異様に思わないその感覚の下品さであったのだが・・・何か自分たちだけの勝手な責任逃れ、弁明だけをしているような違和感だけが残った。
 今回も「陛下のお体への気づかい」という誰にも否定できないワードを政治利用している、羽毛田長官を中心とする霞が関官僚の感覚は何処か異様である。
 天皇と言えどまず人間なのである。 好きも嫌いもあり嫌も良しもあって当然である。 象徴などという訳のわからないモノである前に人間である以上時には自分の意思を通して当然なのである。 昭和天皇東条英機以下が靖国神社に合祀された後は、靖国神社に詣でるのを止めてしまったのは昭和天皇が自分は意思も感情もある人間であることの証拠を見せたということである。 皇室の人々はもっともっと自由に発言したり自由に思うままに振舞ってもらいたいと思う。

 政権交代がなり政治の場面でも停滞していたようやく日本が変わり始めた。 次にどのような社会が来るのだろうか? これまでの60年間まあまあ上手くやれてきた成功体験からなかなか抜けれないこの国の人々にとっては、次の社会へのイメージがなかなか沸かないのだろうし、次へと賭けるのはかなりの決意がいるのだろう。 しかし後戻りだけは御免である。 旧自民党の老齢化した面々の顔を見るたびにつくづくそう思う。 再び自民党が政権をとることがあったとしても、保守党は新しく若手主導の党を確立して出直した保守党であってもらいたいものである。