魚釣り

 昨日病院へ行ってきた。 血小板が8・4→5・4と下がっていた。 医師が少し血小板の値が低いがやってみましょうか、と言うので点滴を受けることにした。 1クール目の時5・8で点滴を受けたが、その直後2・6と血小板は黄色信号状態まで下がった。 そんなこともあって2クール目の前回は4・8まで下がり見送りとなった経緯もある。 本人にしては数値ほどの実感的なしんどさはないのだが、黄信号になると万一怪我などをすると出血が止まらなくなるリスクは大きくなる。 じつは昨日あたりから風邪を引いたのか咽喉が痛くて抗生剤を飲んでいる。 しかし、この後正月を挟むので2週間以上点滴の間隔があくので、回復はするだろうと踏んでで同意した。 昨夜は点滴の夜だったが思ったよりも眠れて今日は体調も悪くないのでホッとしている。 今日二人の息子が首都圏からお見舞いに来てくれる。 近くに住む娘も加わるので二年ぶり久しぶりに親子4人が顔を揃えるとこになる。 この先今年の夏のようにオフの状態が急激に悪化することもあるので、ここらあたりで一度皆で顔を合わせておくことも必要だと思って子供たちに声をかけておいた。今夜は嫁さんに一人の孫も加わって皆でにぎやかに鴨鍋をする予定である。 

 昔商売をしていた頃、休日はほぼ魚釣りで過ごしていた。 当初は車で1時間以内の近くの山に渓流へ岩魚を釣りに出かけていたが、その内に能登半島などへ海釣りにも行くようになった。 海釣りは漁港や水深2メートル内外の浅い小磯で、それも一人で夜の釣りを好んだ。 その内に小さなゴムボートを買って岩に上がって点々とした岩を移動して釣るようになった。 釣るのはせいぜい30センチ以下のメバル、ソイ、メジナ、キジハタなどで、時々40センチクラスの黒鯛も釣れることもあった。 夜一人の釣りだから絶対に無理はしないで海がベタ凪の状態の時しかやらないと決めていた。 それでも足を滑らして海に落ちたりと怖い思いをすることがあった。 自然を相手のアウトドアというのは紙一重の別れ目で命がけのサバイバルになる場合があることを覚悟していなければならない。
 釣りを始めるとアッという間に3時間ほどが経過していて、その間息を詰めていたかと思うほど驚くことがある。 フト気が付くと自然と自分との境目がなくなって一体となって溶け合っているような不思議な感覚に捉われる時がある。 そんな時はまさに至福の時である。 そうかと思えば何かとてつもない神々しい何かに包まれるというか、自然を畏敬せねばおられないようなような空恐ろしい感覚に囚われる経験も数少ないがしたことがある。 人にとってそのような説明が付かないような経験を、なるべく若い頃に自然からしっかり受け取っているということは、生きていく上でもっとも基本的で大切なことであると思うのだが・・・。

 ≪潮が引いたときに、干潟を歩いてみよう。砂(泥)浜には、小さな穴がたくさん開いている。この穴から小さなカニが出入りし、砂の中の「デトリタス」と呼ばれる動植物の遺体からできた有機物をより分けて食べている。砂浜には、カニの穴よりもっと小さな穴がたくさんある。この穴の奥には、ゴカイがすんでいる。これは、魚釣りのエサになる。東京湾三番瀬の干潟では、タマシキゴカイが、巣穴の入り口にうどん玉のような糞(ふん)の山をつくっている。アサリやシオフキガイなどの二枚貝も出てくる。
 アサリのような貝は、海水中の懸濁物(けんだくぶつ)を入水管から吸い込み、これを粘液でくっつけ出水管から排出している。これは海底に沈むので、海水の濁(にご)りが取り除かれる。1匹のアサリが1時間にろ過する海水の量は1リットルにもなる。魚などが死ぬと、多数のアラムシロガイがやってきて食べつくしてしまう。季節によっては、海水のあるところで、ハゼ、ボラ、カレイなどの稚魚が泳ぎまわっている。また、シギやチドリ、カモなどの渡り鳥が立ち寄り、ゴカイや貝類などを食べている。
 干潟には、生活排水や下水処理水が流れ込む。この中には有機物や、これが分解されてできた窒素やリンが含まれている。植物プランクトンには、窒素やリンを肥料分として増える。干潟の砂や泥の表面には、顕微鏡で見なければわからないような微小なケイ藻類が付着している。一般に、植物プランクトンは、動物プランクトンに食べられ、動物プランクトンは小魚に食べられる。干潟の表面のケイ藻類はゴカイに食べられ、干潟の砂や泥の中の有機物はゴカイやカニなどに食べられる。これらの動物がシギやチドリなどの渡り鳥に食べられ、鳥たちが飛び去ることで海水中の有機物は取り除かれる。また、人間がアサリなどの魚介類を食べることで、同じように有機物は取り除かれる。このように干潟では、食物連鎖によって有機物や窒素・リンなどが取り除かれる。
 干潟には、下水処理場に匹敵する水質浄化の能力があるといわれている。東京湾三番瀬干潟には、13万人分の下水処理に匹敵する水質浄化の能力があるという。
 戦後50年間で、日本の干潟の半分近くが姿を消した。21世紀に入った現在、身近な干潟の役割を見直す必要があるのではないだろうか。≫   『生物を科学する辞典』より

 それにしてもあの小さなアサリ一匹が、一時間に一リットルの水を浄化するとは驚きである。