危機を前にして

 20日の採血の結果白血球23→27、血小板8・1→6・8で何とかクリアーでベルケイドの点滴を受けてきた。 例によって帰りに魚の棚で魚、野菜を買う。 魚はハマチ、マイワシ、ガシラ、舌平目、なまこなどを買ったが、魚屋はハマチと言っていたが、ハマチにしては身がやや白いのでどうやらカンパチかヒラマサのようだ。 カンパチ、ヒラマサはどちらかと言えば夏が旬だし、舌平目も今は季節外れだろう。 魚は旬を外れるとお安い。 40センチほどのハマチも舌平目も500円と安さにに釣られてついつい買ってしまったが、その日の昼網で獲れているので新鮮で身はプリプリで味も決して悪くない。 ナマコは今年オフにとって初物である。  一昨日あたりから異常な食欲はかなり収まって来ているが、身体の痺れ感がやや強く、やはり点滴した昨夜は3時間ほどしか眠れなかった。 寝不足の後は仕方ないが本を読んでも頭には入らない。 味覚などは一時のように甘さ辛さがまったく分からないという事はないが、相変わらず味の異常は続いている。 このような状態では好きな珈琲の味にわざわざコダワルことはなさそうなので、お安いものや手軽なインスタントなどを飲んでいる。

 ゆるゆる死について書いてきたが そろそろ前妻の死について書くことで、死についての話は一応結びとしたいと思っている。 前妻の死というより、オフが前妻の死をどのように受け入れたか、について書くことになるだろうと思う。 が、その前に亡くなる少し前の頃の二人の関係について書いておくべきだと思っている。 妻が身罷った今では妻の受け取り方や思いは確かめようがないので、オフの側の一方的な受け取り方ということになる。 ついでに当時の子供との関係についても軽くふれておくことにする。
 オフと前妻との間の三人の子供のうち真ん中の娘は小学校高学年の頃からポツポツと学校を休むようになって、中学一年の夏休み明け頃からはまったく学校に行かなくなった。 いわゆる今でいう不登校であるが、当時はまだそれを登校拒否などと呼んでいた。 当時は同じ中学に登校拒否児は二人だけしかいなくて、まだほんのハシリの頃で珍しがられる存在であった。 仲間が少ない分オフも妻も子供の行く末を思って悩みに悩んだ。 とくに妻は自分の育て方が悪かったのではないかと思い悩み、一人自分を責めていた。 一方上と下の息子はその頃前後して一応地方の受験校と言われていた高校に進学したが、その、頃から反抗期に入り家庭での会話などなくなっていった。 会話がないといっても、昨日は巨人が負けたなァ、とかそんなどうでもよい会話はあるたのだが・・・しかし肝心なことになるとお互いにだんまりになった。 伝えたいことなどある場合は、妻を通じて子供からオフへ、またオフから子供へと妻がかろうじて仲介役を務めて成り立っていた。 妻は逝ってしまったて一番の困ったことは子供たちと関係をどうして修復するかということだった。 その後首都圏で就職した子供達とは相変わらず関係が疎遠なままだった。 妻の一周忌。少し酒が入っていたオフは子供を前にしてもう少し手紙の返事など書けよと怒った。 それに対する子供たちの返事はEメールならするよ、と言う答えだった。 すぐ子供たちにPCを買って来させ設定をしてもらいメールを交わすようになった。 当初、手紙と違って誰かにメールを書くと、それが同時に他の二人にも届くのがそうなんだ!と新鮮な驚きだった。 そのうちにお互いにブログを書き、読みあうようになってからは自然に大人同士の良い関係になっていたと思う。

 また妻との関係だが、たとえば会話・・・オフが仕事から夜遅く帰ると妻が待ち構えていたように昼間あったこと話し出す。 おもに実家からのこちらの都合も考えない手前勝手な要求や非常識な批判をする祖母や母からのなどへ不満だったが・・・矢継ぎ早に話すそれを一応用意された酒を飲みながら黙って訊いているが、仕事モードの抜けないオフには耳に入って来ていない。 生返事をしていると当然妻にはそれが分かってしまうので、あんた訊いていないでしょう!もういいわ!と大きな声が出る。 それでもしばらくして酒が入りようやくオフの気持ちもほぐれて、おい、さっきの話だが・・・と言ってもその時は、もう良いのョ、遅いヮ!となってしまいかみ合わないことの繰り返しだった。
 結婚してからすぐに子供が生まれ妻は子育て、オフは仕事と、それぞれ目先のことに毎日が次々に追いかけられていた。 ついつい相手を話し合ってより知ることとか、お互いの問題を相手に相談して話し合うことなどなくなってしまっていた。 子供がやがて進学などで家を出て行く頃になって、目の前の妻が今まで思っていた思ってていた人とは少し違う人間に見えたりすることが多くなる。 時にはちょっとした反応に、そんなことを考えていたのか!アレレこんなことを考える人だったのか?思うことも少なからずあった。 また、その頃高校時代の友達がよく家へ遊びに来ていてバーベキュウしたり鍋料理を囲んだりしていたが、場に調停する友が加わった気楽さもあり、彼女が日常的なし辛らつな不満をオフにぶつけて声を荒げる程度の喧嘩になるこることも多かった。
 また、下の子が生まれた頃からうつ病に悩んでいた妻だったが、仮面うつ病もその中に大小の波があって軽いそう状態になる時もあるが、それに前後して被害妄想が出てくるし、それに続いて自己嫌悪も出て来てついには落ち込むのだが・・・。 とりあえず被害妄想が出ると目先にいるオフに対して攻撃的になる。 オフのうっかり暴言や言ってる事の矛盾などの指摘にはじまって、次々に出てくる出てくるは、出てくるわ・・・箪笥の引き出しに大事に仕舞われていた過去のオフの嘘や欺瞞や恨みがズルズルと数珠繋ぎとなって・・・それを訊いているとオフは条件反射で眠くてたまらなくなる。 ついに、それは明日またゆっくり訊くよ、と言って寝室に逃げる。 それでは納まらない妻は追っかけてきて布団を捲り上げて、何で逃げるのよ!あんたはいつもいつもそうして逃げてばかりョ・・・ととうとう無理やり起こされてしまう。 (眠いのに寝させて貰えず腹が立って、昔一度だがカッと来てそんな妻を叩いてしまったことがあった。 その時鼻血が壁に飛び散り、動転してからそんな馬鹿は二度としてないが・・・) 荒ブル女神の怒りを治める儀式は昔から一つしかない。 だが・・・心が異様に昂ぶっている女神は、その最中いつもと違い何処かオドロオドロしく野獣じみていて、物の怪が付いたように一人荒れ狂い怖いものがある・・・が、たいてい次の日はそんなことはすべて忘れたように機嫌は直っている。
 たまに二人切りの時などには、その少し前頃から身体が急速に弱ってきていた事を感じていたことあり、子供が手を離れるまでは生きていたいヮ、時々ポツリと口に出すようになっていた。 そんなバカなことを言うなよ、そんなことを言っていないで調子が悪ければ、早めに病院で見てもらえョ、と一応怒るように答えていたが・・・。 そのように日々を過ごしながらも、今まで気が付かなかった妻のいろんな面を見るにつけて、とにかく二人について話し合う機会だなぁと思いながら、修復を始めるきっかけがなくて何となく先延ばし先延ばししていた・・・そして妻は下の息子が進学とともに春に家を離れたが、その夏にとうとう死神が背後に控えている病にも取り付かれてしまい、晩秋には静かに身罷ってしまった。