孤独な我ら

 今日の神戸の予想最高気温は11度、最低気温は9度、天気は雨で一段の秋の深まりを感じる。 最近の起床時間はだいたい7時だが、今朝は布団から出るのが少しためらわれた。
 この一週間ベルケイドが入らなかったせいか、味覚なども含めてやや正常に近づきつつあるが、食欲だけはいぜん異常のままである。 嫁さんが面白半分に買ってきたオハギがあったのだが、我慢できずにキナコとアズキのオハギを頬張ってしまった。 今日は受診の日で採血の結果でベルケイドの点滴をするかしないか・・・10万前後あれば予定通り点滴となるはずだったが、採血の結果血小板値が8・1万で微妙な値・・・医師も少し迷っていたが結局、やってみますか、となった。 次回金曜日にまた採血して血小板値がかなり下がっていれば延期か中止と結論は先送りされて、ベルケイドの点滴を受けてきた。

 ゆるゆると死について・・・もそろそろ終わりに近づいてきた。 
 数年前読んだ谷川俊太郎の『風穴をあける』というエッセー集に、文化人類学者の原ひろ子さんの『ヘアー・インディアンとその世界』という著書にふれてあった。 この著書に対して谷川氏の現代日本の社会との絡め方のうまさもあり、強烈な印象が残る短文に仕上がっていた。 老詩人は書いている 『日本人には想像もつかない苛酷な自然環境のもとで、信じられぬような暮らし方をしている人々が主人公だが、ときもところも遠くへだたったその人々の生活が、他人事と思えない』
 話しは孫引きもいいとこになってしまうが、そのさわりと結論だけ簡単に紹介しておく。

 原ひろ子さんがフィールドワークをされたのは1961〜1963年。 対象になったヘアーインディアンというのは北極圏からカナダ北西部に住む狩猟採集民当時で、人口は当時せいぜい350人ほどである。 原さんは、ヘヤ−・インディアンは自然と対立し自然を征服しようという気持ちを持たず、また自然と調和を保って生きるべきだとも考えていないという。
  「一人ひとりの人間が自然を相 手に競争して」いて「飢餓感と戦うのは自分一人であって、誰もそれを助けることは出来ないのだ、ということを三歳の子供でも知っている」 と記している。  
 そして老人の語る「私は残りますよ」という、その言葉は、キャンプの全員に了解されているのだと・・・。
 薪をとりだし、かすかに残ったウサギや魚の一部をささげるようにして渡すと、出発する者は、次々に老人と最後の抱擁を交わす その目に涙をいっぱい溜めて・・・次のキャンプ地へと旅立って行くのである。
 残った老人は、テントのまわりにウサギやリスの罠を仕掛け、生き延びられるだけ生きるのだ』 という。
 さらに原さんは「数年間ないし十数年間の生活を共にして持続する集団としての〈家族〉を持っていないという現実こそ、へヤー・インディアンの文化上の大発明ではないか」と考えるようになり、そこでは「個人が家族や家庭というオブラートに包まれていない」 と静かに結んでいる。
 以上を受けて谷川氏は 『過剰医療が問題化し、尊厳死の是非が問われている現代日本でも、現実に行なわれている形はどうあれ、少なくともこのような死への意識を理想とする人は多いのではないだろうか』 と書き記している。 この偉大な老詩人はさらにそこに留まらず、あいまいな日本の状況に鋭く鋭利な刃物を突き刺すように 『きわめて過酷な環境に生きるヘヤ−・インディアンと、対照的にむしろ安楽と言っていい環境に生きる現代日本人が、死に関しては等しい地平に立って』 いるのであり、『人間も情報も多すぎる日本に暮らす私達は、それゆえに強い感情を怖れ、他人と深い関係を避けるようになりつつある。 対照的な環境に暮らすヘヤ−・インディアンもまた、「ひとりで」生きることを生き方の基本にしている。 二十余年の時を隔て遠い彼らの生活が、近未来の私達の生活のようにも見えてくる』 と踏み込んで書き記している。
 老詩人の視線はため息が出るほど深く、遠くまで貫いていて・・・鳥肌が立つほどである。
 (February 07, 2002)
 文化人類学者である原ひろ子さんのフィールドワークから得た結論。
 「一人ひとりの人間が自然を相手に競争して」いて「飢餓感と戦うのは自分一人であって、誰もそれを助けることは出来ないのだ」という指摘と、それに重ねて 「持続する集団としての〈家族〉を持っていないという現実」 という指摘は、この現実が実はわれらにとって何であるかという認識をあらためて新しくさせてくれるし、それは山田風太郎氏が書いていた<虫けらとして死ぬわれら>という認識に根底で繋がっていくのだろうと思える。
 さらに、そこに現代の日本人の意識の深層を重ね合わせてみせる老詩人谷川氏の指摘は鋭く素敵である。