心のノート

 数日前の産経ニュースに
 《文部科学省道徳心育成を重視して小中学生に配布していた道徳教育補助教材「心のノート」は廃止にされる方向》であるとしてあった。

 《「心のノート」は、道徳教育を充実させるために文科省が作成。全国の小中学生全員を対象に、約500万部を無償配布している。子供の発達段階を踏まえ、小学校低、中、高学年用と中学校用の4種類がある。 新学習指導要領の内容を反映した改訂版は、ページ数や記述欄を拡充しており、小学1、2年向けでは、うそや悪口など「してはならないこと」をイラストで説明。 中学では「日本人としての自覚」を見出しに掲げて、世界貢献の重要性を説いている。全学年で決まりを守る大切さを強調するなど、規範意識を自然に身につけさせる内容》 として、廃止の動きについては
 《日教組が反対している学力テスト、教員免許更新制度も新政権で見直される公算が大きくなっており、日教組の意向を受けた民主党が廃止を求めているためだ》としている。

 道徳教育本来の目的は、少しお固く言えば、善悪の判断基準や規範の根拠や作用などを考え、集団生活に適応して他者と共生していくための公共的な倫理感覚を獲得していくことだろう、と思われる。

 われわれが生きている社会の中で大勢の個人が気持ち良く安全に共生していくためには、いろいろな道徳規範というか、社会的なルールが要請されている。 そのためには道徳規範の根拠とか、必要性とか、有用性などを心から納得出来ていなければならない。 つまり、なぜそうすべきなのか?何でそんなことをしてはいけないのか?善悪の判断基準はどこにあるのか?というようなことについ納得出来ていなければならないということだ。 相手の気持ちの想像しながら子どもたち自身が語り合い積極的に考えていけるような道徳教育は大切だと思う。 どうであれどんな状況に陥っても、自分の頭で状況判断をしながら、適切な道徳的判断ができるようになる素養を身に着けるということは大切である。

 しかし実際のところ、学校の授業ではほとんど使われずに、学年末に家に持ち帰るだけになっている場合も多々ある、とウィキペディアにも書かれている。 使われていても徳目(規範の種類)をただ唱和したり、それを暗記するだけでは、そういった道徳教育の役割が骨抜きにされるだけではなくて、かえって道徳にたいして反感を抱かせてしまう恐れがある。 オフなどは間違いなくそうなる(笑)
 たとえばいじめに対しても、なぜそれが悪いのか、それが如何に人のこころを傷付けるのか、どうして人はいじめをしてしまうのか、どうしていじめをしてはいけないのか、それらをきっちり教室で生徒に議論させ、納得させるには先生に質の高い人格や技量が要求される。
 内田樹氏が数日前の<内田樹の研究室>に『今学校教育に求められているもの』というテーマで書いている。
《「学校は子どもを成熟させる場である」ということである。 学校教育についての評言のほとんどは、それがどういう「利益」を「受益者」である子どもたち、および「金主」である家父長たちにもたらしているかを基準になされている。 けれども、学校教育の本義は「利益」によって表示されることはできない。 その人類学的使命は「子どもを大人にする」ということに尽くされている》とある。
 先生の質や技量だけの問題ではない。 あらゆる意味で戦後60年の教育の根本を見直す時期に来ている。
 ただ生徒に心のノートを配って、各自でそれを読むように指導しているだけなどの場合には、ほとんど教育効果は無いと思うので、まちろんそれなら即時止めたほうがまだ賢明である。