選択的夫婦別姓

 先の衆議院選挙での政権交代から初めての国政選挙である神奈川と静岡の参議院補欠選挙が始まった。  
 その内神奈川選挙区では
 《自民党は、「若さ」「女性」をキーワードに前横浜市議角田宏子氏(42)を候補に選んだ。角田氏は、子育て支援策の拡充のほか、与党が掲げる夫婦別姓などの政策に異論を唱え、保守層への浸透に努める》 とニュースの記事にあった。
 先日夫婦別姓問題について書いたばかりだが、たしか法務大臣はこの法案を来年の国会に提出すると言っていたと思うが、自民の候補者はもう今の時点でこの問題を取り上げて論点にする構えらしい。 それだけこの問題は保守に立場から民主党が目指す社会を批判できる格好の論点と見て取っているのだろうと思う。 先日はこの問題について個人的な意見はできるだけ控えて書いたが、数年前籍を入れる時にオフたちはじつは夫婦別姓が成立するのを待っていたのだった。  法案は廃案にされ結局、嫁さんがオフの戸籍に入籍してオフの姓を名乗ることになったのだが、オフたちのように熟年同士の結婚となると、どちらかの姓が変わるということは若い時と違っていろいろな手続きが多くて結構面倒だと言うことが大きかった。 それに大まかでかなりいい加減なところもあるんだが、一緒に暮らしながら所帯も基本的に別々という形をとっているので、オフたちは実は別姓夫婦の見本のような夫婦なのだ。 しかし、この問題は戦後の社会に根付いている民法を60年ぶりに改正し新しい夫婦の関係を提起し、変更しようとする問題であるから、人々の、とくに保守的な層の抵抗感は強いだろうと思う。 またこの問題に対する田舎と都会の感覚の違いも大きいだろうと思う。
 先々月末マンションの下の階に住んでいた嫁さんのお母さんが乳ガンの転移がもとで亡くなった。 お母さんは高齢であったこともあり、葬儀に参列したのは、夫と子供や孫、兄弟の十名ほどで、まさに身内だけのささやかな葬儀であった。 そうであるからお母さんが亡くなったことをマンションでは、両隣だけでなく誰一人知っている人はいないだろうと思う。 昨今都会ではこんな事がとくに奇異なことではないような関係の中で人々は生きているし、とくにそのことでお互いが不都合や不便を感じる事もない関係なのである。
 先日田舎に帰り同窓会に出たのだが、そこで子供の話になって、孫が生まれて可愛くてしょうがない、という話題があると思えば、まだ結婚もしてないのよ、という話題もあちらこちらで出ていた。  息子や娘が30歳を超えている年齢になっているのなら、そんなこと親の悩む問題じゃないだろう、というオフに対して、そうかもしれないけど・・・ともう一つ歯切れが悪い返事しか帰ってこなかった。 気が付かないところでまだまだ結婚は個と個の結びつきではなくて、家や氏の継続という幻想に縛られているのだろうし、親子関係もどこかその範囲の中に留まっていて、大人と大人の関係に脱皮されていない関係性みたいなものを感じる(子供の側では結構迷惑がっていることは考えられるが・・・) まあ田舎ではある程度仕方がないかなぁ、とも思うが、都会のマンション住まいをしてみると、とうに現実は人々の意識を取り残して進んでしまっているのに、まだまだ人々の意識はそれに付いていけていないというのが現実のようだ。 
 最初の問題に帰るが、保守層にからの伝統的な家族制度の変質・衰退してしまうという懸念は、夫婦が同姓であるか別姓であるかという事とは別の要因によってすでに進行しているのだし、別姓であるから夫婦の絆や家族の結びつきが弱くなるという意見には、オフ達の生活を省みるまでもなく、それはまったく見当違いだよ、と答えておきたい。