新しい社会のパラダイム

 八月の衆議院選挙の際に民主党が掲げたマニフェストの中で目玉のように扱われたのは、15才未満のすべての子供に一律に育児手当てを出すという公約であった。 これに対して先の自民党総裁選挙で立候補した西村議員などは高所得者にまで出す必要はないので、修正案を出していくなどと批判していた。 これまでの政治の感覚から言えば、子供手当てには賛成だが、所得制限なしに出すというのはいかがなものか・・・となるのだろう.。 しかし、すべての子供に対して一律に子供手当てを出します、としたところにこの考えの重要な意味があるのだ。 日本においては戦前までは子供の育児はすべて親の責任であったが、それが戦後になると教育の機会均等という考えが出てきて、一部税金で賄うという考えが導入されるようになった。 基本的には親が教育費などを賄うが、それが出来ない家庭の子供には公金を補助して平等性を確保する、という考えである。 この考えを押し進めていくと最終的にはいわゆる護送船団方式となったり、取り仕切り役による談合的配分となってしまう。 そしてその元締である族議員と官僚の結び付きが生まれ、そことのつながろうとする民間の大手とのトライアングルをを作るからだ。  しかし今回民主党の出した考えの基本は子供を育てる費用は公金で賄って行こうと言うことになる。 たしかに高所得の家庭の子供も、低所得の家庭の子供も一律に公金で賄うのはやりすぎで悪平等だ、という考えも分からない訳ではない。 しかし、その公金を高所得者から多めに累進課税などの形で徴収するということになるならば、決してやりすぎな悪平等ということは当たらない。 そうまでしても一律ということにこだわる背景には、子供の育児、教育に関することはすべて社会全体で賄っていくんだ、という考えをベースにしていることになる。      

 また、民主党が来年の通常国会に『夫婦別姓』を認める民法の改正案を提出すると言う。 夫婦別姓といっても『選択的夫婦別姓』だろうから、法律(民法)によって別姓にせよという強制されるわけではなくて、結婚した場合に『同姓』を名乗るか、それともそれぞれ夫婦が『別姓』を名乗るか選ぶことになる。 つまりこの法案が成立すれば入籍の際に、①夫婦とも夫の姓を名乗る。②夫婦とも妻の姓を名乗る。③めいめいが結婚前と同じ姓をそのまま名乗る。 という三つの選択肢が出来ることになる。
 この問題も日本では戦前まで結婚の主体は<個人>ではなく<イエ(家系)>であり、結婚する女性は“妻”である以上に夫側のイエの一員となる“嫁”として捉えられていた。 それを戦後の民法では『戸主権(家父長権限)・家督相続権』を備えたイエ制度は否定されたのだが、、地方の農村や歴史のある旧家の家系では今でも婚姻とイエを区別していないし、一般国民レベルでも『配偶者の戸籍に入る』という意味でのイエの観念は存続されてきた。 だからこそ嫁入り・奥さん・結納・入籍”などという言葉も何の疑問もなく使われているのであり、婚姻をイエ制度を前提としたものとして今だ捉えられている証である。 夫婦別姓を取り入れても別姓夫婦を選ぶ人は当初さほど多くないと思うのだが、そのような夫婦のあり方を選択するということは、夫婦というのは個人と個人の結びつきである流れを現実のものにしていくことに通じる。

 そして、今回民主党は税制改革に絡めて配偶者特別控除・扶養控除の廃止ということも提案している。 これらの考えも社会で女性の労働者化が進んでいる中、それをさらに推し進め女性の非専業主婦化をさらに加速させ、高齢化社会が進む経済活性策としようとしているのだろうと思える。 現実的にも、男性の平均所得の低下や雇用情勢の悪化などにより、夫婦が一緒に働かないと家計を維持できない世帯が増えているのを見る限りでは、現実を追認しようとするだけではなくて税制の改革によって女性の社会進出をさらに推進する方向に持って行こうとしている。

 すなわちこれらの政策が実行されるとするなら、さらに伝統的とされる夫婦のあり方や家族形態は大きく変化していくと予測される。 まあ現実的にはもうすでにかなり変容してしまっているのだが・・・ これらの三点だけを取り上げただけでも、民主党が戦後日本の社会を改変して、新しく構築を目指している社会がぼんやり見えてくるようだ。
 夫婦別姓、夫婦間の経済的な依存無し、扶養による税控除のメリット無し、児童福祉が充実という条件が揃うことになる。 そこで見えてくるのは、夫婦というものが、これまでどちらかと言えば役割分担しながら寄り添って対を成して生きていくものから、対等で平等な個人と個人の結びきの中で対を成して生きていくものに変容していくことになる。 それはさらに<家族単位の社会>から<個人単位の社会>へのシフトが起こってくるということでもある。 事実婚(同棲)と法律婚の間にある差異がますます少なくなって、ヨーロッパ社会のように婚姻制度の形骸化(事実婚やシングルマザーの増加)が起こる可能性が高い。 そもそも男女のすべてが経済的に自立していて婚姻制度の恩恵が乏しいと仮定した社会では、不倫の抑制などを除いては敢えて法律婚を選択する動機づけが、『関係性の法的承認』以外には乏しくなるからである。  今後保守層からのそのあたりを突いた強い反対が予想される。 だが、問題はこれから社会の中心を担っていく中若年層の考えを反映させ、そこに力点を置いて進めていかねばならないということだ。