宮本百合子 『風知草』

 戦後、百合子と獄中にあった夫との往復書簡『十二年の手紙』があるが、戦後これを読んだあの渡辺淳一が男と女の究極の愛の記録と評したとあるが、その内実はどうであったのか・・・
 宮本百合子が戦後最初に書いた『風知草』という作品があり、この作品は網走の刑務所から帰った顕治との半月後の蜜月期のことを書いた作品なんだが、その中にもすでに男女のズレと言うか、宮本夫婦の危機の兆候がすでに萌芽しはじめているのが読み取れる。
 作品の中で夫婦である二人が『一隗の土』という芥川の作品について話す場面がある。 『一塊の土』とは夫に死に別れして後家さんになった女が、しゃにむに働いて一家を支える話なのだが、意に反して自分も家族もそのことでより不幸な結果を生んでしまうという、芥川独特の皮肉な諧謔の視点で人の人生を描いた小作品である。 そのことを男は<後家のがんばり>と表現して、女の自分に対する努力もどこかそれに似たところがある、と暗に仄めかすのである。 それに対して作者の百合子は・・・
 《後家のがんばり、という言葉にふくめられているものは、バカと云われたより、だらしないと云われるよりひろ子にとって苦痛であった。人生のずれたところへ力瘤を入れて、わきめもふらない女の哀れな憎々しさ、それが、この自分にあるのだろうか。帰って半月もたたない重吉からこんな電車の中で、それを云われなければならないのだろうか。こらえても、涙があふれた》 と作品の中のひろ子という女を通して書いている。
 また、会合に急ぐ男の袖にカフスボタンを留めながら、「自分でカフス・ボタンもつけられないなんて、わるい御亭主の見本なのよ」 と女は子供を叱るような意味で軽い愛情をこめて話すのが・・・
 《そう云いながらひろ子が、重吉の帰る時間をきいた。 「何時ごろ? いつも頃?」 これも貰いもののハンティングのつばを、一寸ひき下げるようにして、重吉は無言のまま大股に竹垣の角をまわって見えなくなって行った。ひろ子は、暫くそこに佇んだまま、むかごの葉がゆれている竹垣の角を眺めていた。重吉は、口をきかずに出て行った。意識した手荒さでまわした重吉の体の厚みが、手のひらに不自然に印象されて、それはひろ子のこころもちをかげらせた。》 このように男は無言で出掛けてしまう。その夜、帰ってきた夫を掴まえて
 《「――ね、どうなすったの?」
 「どうもしない」
 「いいえ。こんなのあたりまえじゃないわ……いつものようじゃないわ。ね、どうして?」 重吉は椅子の上で顔を横に向け、ひろ子を見ないようにしている姿勢のまま、
 「どうもしない。きょうから、何でもみんな自分ですることにきめたんだ」 と云った。
 「…………」
 「すっかり、考え直したんだ。何の気なく、してくれるとおりして貰っていたんだが。俺も甘えていたんだ。――わるい亭主の見本だと思われているとは思わなかった」 冗談よりほかの意味はありようもなく云った言葉が、重吉をそんなに傷(きずつ)けたことが、ひろ子をおそれさせた。》
 さらに
 《ひろ子は絶望感からそのまま立っていられなくなった。前の畳へ崩れこんで重吉の膝の上に頭を落した。
「考えて頂戴。あなたのことはあなたがなさい、というような心持で、どうして十何年が、やって来られたのよ」 ひろ子がそんな石のような女で、身のまわりのことにも今後一切手をかりまいと思いきめたなら、その重吉にとって、ひろ子の示す愛着は、どんな真実の意味があり得よう。二人の自然な愛情はなくて、重吉が決して惑溺(わくでき)することのない女の寧ろ主我刻薄な甘えと、ひろ子がそれについて自卑ばかりを感じるような欲情があるというのだろうか。
「あんまり平凡すぎる!」 ひろ子は、激しく泣きだしながら頭をふった。
「わたしは、いや! こんなの、いや! あんまり平凡だ」 それにしても、ひろ子には分らなかった。重吉が、こんなに永年の間、互に暮して来たあげく、突然、云ってみれば、今瞼から鱗(うろこ)が落ちた、という風にそれほど深い幻滅を発見したというのは、どういう理由があるのだろう。重吉もひろ子も、劣らず自然なままの生れつきであったから、一方で離反して、一方で繋がれてゆくというようなゆがんだ人工の夫婦暮しは出来なかった。真実重吉の幻滅がとりかえせないものならば、それはひろ子にとっても、これからの生活は成り立たないということなのであった。》
 顕治が刑務所に入っている頃、公安当局から文学作品を書くことを禁じられていた百合子は持って行き場の失った心の支えにとある日青々と茂る風知草の鉢を買った。 しかしその風知草も支えのない日々の中でいつの間にか枯れてしまう。それらの重苦しい日々の思いすべてを、どのようにして夫に伝え知ってもらうのか・・・と思い悩んでいる中で再び作品を書くことを決意したことが表明されている。
 しかし、その作品は百合子の脳脊髄膜炎敗血症という突然の死によって実現されなかった。
 妻である百合子が悪寒に襲われた後重態に陥り亡くなるまでの三日間、さらに死亡した後も夫である顕治は姿を見せない。すでに百合子の秘書であった大森寿恵子と同棲していたからである、死亡した翌日の夜遅くに行かないと言うのを無理やり友人に連れて来られて妻の亡骸と対面している。
 男女の仲にはいろんな事が起きる。 男女のことをいちいち倫理的に取り上げてどうのこうの云うつもりはない。 不倫をしようと、裏切ろうと、殺し合おうと、最後はその人と人の間の問題である。 だが、亡くなった人へ対しては最低でも人として謙虚であらねばならない。 党や宮本個人がその真実を覆い隠し、二人が最後まで理想の夫婦であったように描いているのは、何の反論も出来ない死者への卑しくて、許しがたい冒涜以外の何ものでもない。