平林たい子 『嘲る』

 平林たい子の作品を読む。 昭和のはじめ頃そのような作家がいたということは知っていたが、どのような作品を書いた作家かまったく知らなかった。 この時代の女流作家の佐多稲子宮本百合子壺井栄などもせいぜい名前を知っている程度である。 先に読んだ林芙美子なども同じ時代を生きた作家で、両者の作品の中にそれぞれお互いに実名で登場したりしている。 まず最初に読んだのが「嘲(あざけ)る」という作品だった。 この作品ほぼ彼女が最初に認められた処女作でもある。 しかし、その怒迫力に驚かされた。
 ある男とともに暮らし始めたのだが、二人には職もなく金もなく食うものにも困って、昔の男のところの下宿を訪ねてお金を都合してくる話なのだが・・・二人の間では昔の男のところに泊って来るのはほぼ暗黙の合意のなのであるが・・・・話は、その次の朝の男の下宿の岐路の途上から始まる 『右の手で、よれよれな袷(あわせ)の上から、左の乳房を押さえながら、私は、前屈みになって、よろめくように歩いていた』 左の乳房の底に、錐でもまれるような痛みを感じているので胸を開いて調べてみたい・・・と思い思いしながら歩いているのである。 そのあたりを振り子のように前後左右に揺れる微妙な女の心理に加えて女性特有のナマナマとした生理も絡めながら書き進められている。
 
 『それほどにまでしても、この男のためにはつくさなけれならない、と私は私自身に命令し、自分を、雄々しい戦使にもなぞらえた。 こういうことを、こういう気持ちで行うことは、またこれ程にも意気地ない彼に対する、淡い復讐心と征服欲とを満足させることでもあった。 事実の上でも、私達の窮迫はこんな方法をつくしてでも金をつくるより外に、道がなかったのであった。 しかし、予期した通りの結果になってしまうと、私の気持ちは変わってしまった。 あんな男のために、あんなことまでして金をつくる自分が、何となく滑稽で堪らなくなった。 冒涜だと思った。 今まで見なかった世界が、急にひろびろと私には見えた。まだまだ自分は、人生に、理想を持ち得ると思えた。 それで、私は急に昔の自分のようにしおらしくなって、金のことは言わずに帰ろうとしたのであった。 今一度、これをこういうことの最後として、一人の、新しい生活を始めてみようーー夜中眠らなかった私は、何処かけだもののような感じのする、矢田の寝息をききながら、小山に投げつける、最大級の言葉をしきりに考えたのであった。 しかし、また矢田の下宿を出る時には、私の幻は、皆打ち壊された。 矢田は私が帰るという約束を思い出したらしく、紙入れから一円紙幣を惜しそうに出して機械的に私に渡した。 気のせいであったか、その時、「では・・・」というような言葉が、矢田の唇から洩れたようであった。 私は、自分の体中に蝉の声のような、喧しい自嘲の言葉をききながら、ふらりと戻って来たのである。 小山は、火箸で紙屑だらけな火鉢の中を掻き回し、やにの染み出た、バットの短い吸殻を拾い上げた。 「買ってきなさいな」 と、私は、ふところから五十銭銀貨を出しながら、欠伸をした。 「これだけ貰って来たのか?」 と小山は珍しいもののように、銀貨を手の上で見ていたが、やがて煙草を買うためにみしみしと下りて行った。』

 作品の中で作者はきわめて正直である。 その正直な自分の気持ちを綴っていると思えるが、男と女の関係の力点というか、その重心の移り変わりが手に取るように分かる文章である。 この作家が書いた戦後の作品に『砂漠の花』という自伝的な長編があるが、その作品の中でもこの時期の同じ問題がもっと具体的に赤裸々に取り上げられている。 合わせて読むとなかなか面白い。 
 貧乏、それも主義主張による(無政府主義、つまりアナーキズム思想による作られた貧乏)を軸にして、自分自身を・・・さらに自分に取り巻き、絡まりつく男たちをも嘲るという空恐ろしいほどの迫力ある作品である。