国家戦略局

 昨日は経済に付いて少し書いたが、今日は政治について少々・・・
 新しい民主党政権では国家戦略局が儲けられ、そこの担当大臣に菅直人民主党代表代行が就任することが内定している。 また外相に岡田幹事長も内定している。 インド洋での海上自衛隊による給油活動からの撤退、日米地位協定の改定の提起などなど、これまで日米間でなかった様々な問題が今後軋轢となって露呈してくるだろうと思う。 自民党のこれまでの外交はすべて,アメリカの世界戦略に唯々諾々と追従するというもので、日本独自の外交戦略というものを考える必要性はほぼゼロであった。
 インド洋沖の自衛艦による給油活動も、タダの燃料を日本によって補給してもらえれば、目だって財政事情の悪くなっているアメリカにとってこれほど有難いことはないし、当然ながらそれはすでにアメリカの世界戦略に組み込まれている重要な役割でもある。 それを拒否すれば当然のことながらアメリカは困るだろうから、それに対抗して日本が困るようなある種の恫喝的な難題を突きつけてくる可能性はある。
 そこで、ほら見たか・・・とたちまち自民党サイトからやマスコミの攻撃が起きるだろうのが目に見える。 しかし、外交とはもともとそれぞれの国家間の相反する戦略や利害の対立をいろいろなルートを使っての話し合いに持ち込み、よってのその解決をしていく手段でありその交渉の場なのである。 そこで両者がそれぞれ主張し、議論し、歩み寄る、あるいはギブ&テイクによって問題を平和的に解決していく場であり知恵の出し合いことなのである。  その場で丁々発止を恐れず議論に持ち込み、自分達の考えを主張をすること、たとえば補給に変わる日本の戦略、そうような独自の貢献策の重要性を言い張ることが具体的な問題のあり方をより明らかにする。
 また これまでアメリカの国債を大量に買い付けてきたのは中国と日本である。 先にオバマ氏が大統領に就任した時真っ先にアメリカに駆け付けドル体制の堅持、といえばカッコイイが、アメリカ国債をこれからも買い続けますよ、と一方的に申し出たのは麻生首相であった。 しかし、今後相対的にドルの価値が低下するのはすべての経済学者が認めるところである。 そのことを見込んでいる中国はこれまで続けてきたアメリカ国債をこれまでのように買い続けることはない、と明言している。 そのような両大国の間の主張の中で、最終的に日本の利益を守って行く方途は何か、これはなかなかの難問題であると思われる。
 間違いなく今後は相対的にアメリカの地位が低下し世界は多極化する。 そしてそれに代わって発言力を増すのは中国であろうことは誰もが認めるところだ。 その流れの中にあって日本の役割は両者の仲介役を演じることであろうと思われる。 その役割をこなすために重要なことは、日本の得意技である自民党的な玉虫色のあいまいな決着に持ち込むことなくて、どちらの言い分がより日本として重要かと判断して、キャスチングボードを握る仕切り役、行司役になることなのだろうと思う。
 今後そのようにして日本が独自の国家戦略を掲げて新たに外交政策を繰り広げるとなれば、新設される国家戦略局や外相の重要性はますます増してくる。 その重要な職に鳩山代用が実力者である菅氏や岡田氏を起用したのは理にかなったことであろう。 以前小沢一郎が言っていた<普通の国になる>と言うことは、自らの政治的な戦略で判断しながら国民の利益や安全を守ることを掲げて行動する、ということになるのだろうとオフは思っている。 その時に日本の外交の指針となるのは、憲法に記されている<国家間の問題を武力によって解決しない>ということであり、そこを大前提にするべきなのは当然のことだろう。

 さる11日に内田樹氏がブログに日米間の密約について書いている。 その要点は以下である。
 ≪密約が1963年段階で「公開」された場合に何が起きたか、である。 それは一言で言えば、「日本はアメリカの軍事的属国である」という「事実」が公開されるということである。 この「事実」はアメリカはもちろん、世界中の国が知っている。 知らない(知らないふりをしている)のは日本国民だけである。 だから、この「密約」は誰に対しての「秘密」かといえば、日本国民に対する秘密なのである。 「日本はアメリカの軍事的属国である」という「事実」から目を背けて、「日本は独立国である」という虚偽のアイデンティティをもつことで、日本人は「敗戦というトラウマ」から身を守ってきた。 (・・・・) アメリカは敗戦国日本にいかなる隷従も求めていないという「ありえない物語」を日本人は必要としていた。(・・・・) この「ありえない物語」を信じるという一種の狂気を病むことによって、「平和と繁栄」という疾病利得を得ることを選んだ日本人 (・・・・) 私は「狂う」ことによって失ったものと、「苦痛を逃れた」ことで得たものは差し引き、得たものの方が多いと思っている。≫

 内田氏の批判するところは、日米間に密約があったことが今問題ではなくて、すでにアメリカでは公開されているのに、それはアメリカ側が勝手に作ってメモであると言い逃れてきた・・・あくまで<知りません>と言い逃れてきた、その後の日本の政権とそれに追従することで事なかれとしてきた外務省官僚とのその癒着体質が問題なのである。 国家戦略以前の国内的な問題もまだまだ山済みである。