林芙美子 「放浪記」

 林芙美子の『放浪記』を読む。
 昭和初期に書かれた作品であるが、名作だと思う。 二十歳前半の頃の日記をベースにしている。 文学作品として発表するつもりもないまま、生活に追われながら生きる自分の心の支えとして書かれた文章なのだろうが、かえってそれゆえに強くこころ打つキラキラするものが散りばめられている。 担ぎ売りの両親と共に日本のあちらこちらを放浪するように住まいを変えて転々としている訳だが、それと同時に職もアンパンとかサルマタ(男物のパンツ)売りとか、女中とか、食堂の店員、カフェの女給などなど・・・食うために様々な職についている。 しかしそのように日々の飯を食べるための金のために生きながら、一つの志である文学への憧れだけは持ち続けた。 その志の高さが彼女を平凡で惰性的な生き方に流されることからかろうじて救い出したといえる。 明治期から太平洋戦争まで大方の文学の担い手、書き手の多くはどちらかと言えば裕福な地主階級などの子息であり、進学で都会へ出て文筆活動を始めている。 学校もろくに出ていないまま今日、明日の生活に困るような赤貧の暮らしをしている階層の中から文学への憧れを支えにして林芙美子は生まれて来た。 

 ≪やさしや年もうら若く
 まだ初恋のまじりなく
 手に手をとりて行く人よ
 なにを隠るるその姿
 好きな歌なり、ほれぼれと涙に溺れて,私の体と心は遠い遠い地の果てにずっとあとしざりしだした。そろそろ時計のねじがゆるみ出すと、例の月はおぼろに白魚の声色屋のこまっちゃくれた子供が来て 「ねえ旦那!おぼしめしで・・・ねえ旦那おぼしめしで・・・」とねだっている。
 もうそんな影のうすい不具者なんか出してしまいなさい!何だかそんな可憐な子供達のささくれたお白粉の濃い顔を見ていると、たまらない程、私も誰かにすがりつきたくなる≫ 

 ここに描かれているのは、揺れる女心などという生易しいものではない。 ある意味でうら若いうちに男というものの裏も表も嫌々ながら知らされてしまった女の、信じたいが信じきれない切ないこころの揺れである。 上のような文章があると思えばまた以下ののような文も続く・・・

 ≪二人で縁側に足を投げ出していると、男は灯を消して、七年も連れ添っていた別れた女の話をしている。私は圏外に置き忘れられた、たった一人の登場人物だ、茫然と夜空を見ているとこの男とも駄目だよなと誰かが言っている。あまのじゃくがどっかで哄笑っている、私は悲しくなってくると、足の裏が痒くなるのだ、一人喋っている男のそばで、私はそっと、月に鏡をかたぶけて見た。眉を濃く引いた私の顔が渦のようにぐるぐる回ってゆく、世界中が月夜のような明るさだったらいいだろう・・・。
 「何だか一人でいたくなったの・・・もうどうなってもいいから一人で暮らしたい。」
 男は我にかえったように、太い息を切ると涙をふりちぎって、別れという言葉の持つ淋しい言葉に涙を流して私を抱こうとしている。これも他愛のないお芝居なのか、さあこれから忙しくなるぞ、私は男を二階に振り捨てると、動坂の町へ出て行った。誰も彼も握手をしましょう、ワンタンの屋台に首をつっこんで、まず支那酒をかたぶけて、私は味気ない男の旅愁を吐き捨てた≫

 平凡な言葉遣いの中に、彼女の思いのありったけ、息遣いまで表現されているようなよい文章だと思う。
 さてさて今夜は、日本酒でも飲みながら、映画「キルビル・2」のラストに流れた梶芽衣子の恨み節でも聴いて寝ようかな(笑)
 http://www.youtube.com/watch?v=eV8JlNdcOEs