記憶

 今日よりしばらく田舎へ帰るのだが、昨日あたりからまた眼のまわりの睫毛の根元が腫れてきている。 軟膏を塗ったり抗生剤を飲むなどして療法をしているのであるが、体調が少し下がると何かの菌が勢いを増すみたいである。

 先にも書いた生物学者福岡伸一氏の著書「動的平衡」の中で、人間の記憶について書いている。
 オフたちも昔、記憶は脳の中でも海馬というところに蓄えられていると習ったが、それではそれは海馬の中でどのように保持されているのか、その説明はなかった。 では人間の記憶とは何であって、どのようにしてそれが脳の中に保持されているだろうか? 簡単に考えれば、海馬の中は細胞であるからそのの特定の分子の中に蓄えられている、ということである。 ちょうどコンピュターが二進法でコード化された記録を指定アドレスに蓄えているようにである。 しかし、このモデルはまったく正しくないのである。 なぜならば前にも触れたように生命の内にあっては、すべての分子は合成され分解され交換されている訳で、分子は生命体の中に長く留まらないのである。 そしてそれが生命現象そのものであるからである。
 それでは記憶は一体何処にどのように仕舞われていることになるのか? そこで考え出されたのは記憶物質というものであり、それを生命体の中から見つけ出せばこの問題の有無を言わせぬ答えになるとなった。 現在から見ればいかにも荒唐無稽な想定だが、これを第二次世界大戦後のアメリカでは生物学者たちがこの発見に真面目に取り組んでいたという。 ネズミたちに電気的なショックを与えある行動を学習させて覚え込ます、そのネズミの脳内の細胞を抽出して他のネズミに注入して記憶が再現されるかという実験を繰り返していたというのだ。
 脳細胞は一度造られるとその後増殖したり再生したりしないとされていたからである。 だが脳細胞そのものはそうかもしれないが、それを構成している内部の分子は常時入れ替わって新しくなっているのである。 それが今日主流の分子生物学に基本的な出発点である。 だとすると記憶とは何か?という問題は振り出しに戻る。
 次に科学者達が注目したのは記憶物質ではなくて、細胞の外側にある情報の伝達物質であった。 それは神経と神経や神経と細胞を取り持っ働きをしていると考えられた。 神経細胞ニューロン)は長く一本の回路ではなくて、シナプスという連携を作って互いに結合して神経回路という全体を作っている。 その神経回路は刺激と応答によって電気的、化学的な信号として伝わる。 それらの信号が回路を作りその回路が記憶となるという考えである。 そしてその後ペプチドと呼ばれる情報物質が次々に発見され、それぞれに特定の働きが明かにされてきている。 であるから記憶を呼び戻すというのは、過去に蓄えられたビデオのようなものを覗いているのではなくて、回路の中でまさにその時に再び電気的に造形されているビビッドなモノなのであると言えるのだ。 つまりわれわれが記憶を呼び覚ますそのつど、脳内に特定の回路が電気的に化学的に形成されて、そのようにして過去を思い起こしているという構図がで出来る、それが人間の記憶の仕組みということなのである。

 記憶に残っている青春時代の懐かしいフォークソングを替え歌にして嘉門達夫が歌っている。

 http://www.youtube.com/watch?v=jzdZupOitqY&feature=related