「細雪」について

 ここのところ毎日日本文学全集の中から気に入った作品を選び出しては読んでいる。 長編、短編にかかわらず戦前に書かれた文学作品は重苦しい雰囲気を背景に持っている。 たいていが近代的な自我を持った主人公が(作者自身のことが多いのだが)、まわりの封建的な家族関係のしがらみから抜け切れない軋轢を抱えていて、そんな軋轢に触発されて書かれている作品が多いからだろう。
 長編では志賀直哉の「暗夜行路」、谷崎潤一郎の「細雪」、そして島崎藤村の「春」を読んだ。 いずれの作品も今では古典と言われている作品だが、まあそれぞれに楽しめたのだが、ここでも近代化された知識人とそれを包み込んでいる戦前の家族制度という重石のようなものが背後に控えている。
 長編三作品の中では「細雪」が文学作品的価値が飛び抜けていると思われるが、もっとも長編でゆるゆる読んだが読み終わるのに4日間ほどかかった。 昭和十年代、大阪船場の旧家の裕福な四人姉妹を中心にして、お互いの人間関係や当時の関西の上流家庭の風俗も含めて淡々と描かれている。 戦前の階層化していた社会の中の裕福な階層の家族を描いている訳だが、そのことに関してこの作品が世に出た経緯にはある種の笑えるような笑えないようなエピソードがある。
 この話は昭和16年に終了するのだが、それに先立つ数年間が物語の舞台として描かれている。 昭和16年と言えば日本がアメリカに対して突然宣戦布告をして真珠湾攻撃を行ない、太平洋戦争に突入した年でもある。 谷崎はこの作品を戦争中の昭和18年に中央公論に掲載したが陸軍報道部により掲載禁止処分となっている。 その翌年昭和19年に谷崎は200部を限定自費出版して友人知己などに配っている。 結局この作品が一般的に世に出たのは戦争が終わった後の昭和21年なのである。 その時にはすでに谷崎が描いた日本の階層社会は崩壊してしまっていた。 皮肉なことにもうその頃には細雪に描かれている上流階層社会は崩壊していて、すでに日本からは姿を消していて過去のものになっていたのである。

 新潮社の全集版の後書きを書いている伊藤整がこの作品を高く評価している。 その中で伊藤整は≪日本の近代小説の大半は、家族からの脱出と、家族破壊と、家族崩壊等による個人の逃亡の小説である≫ と言い切り、そんな中で谷崎潤一郎の「細雪」は≪人間相互の間に、愛とか美とか金とか性とかいう形で働き合っている力の組み合わせを、近代日本の小説で類が少ない位に見事に描き出し≫た、そのような小説であると積極的に評価している。 当時すでに商売というか、家運が傾きつつあったと言え、大阪の船場の商家の伝統や倫理観に育まれた<美>が家族制度によってのみ守られていたのであり、その裕福な階層的な家族制度を拒否すれば、三女雪子に体現されているような日本的な女性美は存在しない、とまで言い切っている。
 だが、はたしてそうだろうか? 日本の女性が内部に育んできたその美質はそんな階層の家族制度の力でしか保ちえないほど奇形的に狭いものなのだろうか・・・?
 谷崎氏には戦前の家族制度が崩壊した戦後の姿を描いて欲しかったと思う。 それを描いてこそ明治以降の知識人を縛ってきた家族制度の表と裏の面が浮かび上がったと思う。 戦後の谷崎氏は「少将滋幹の母」以外にほとんど注目されるような作品は何一つ発表していない。 しかもこの作品では谷崎氏は美を見る視点が現代ではなくて過去の日本へと退行してしまっている。

 終戦後わずかに太宰治が「斜陽」で崩壊する上流階級の家族の姿を書いている。 しかしこれはあくまで太宰個人の視点であって、戦後の社会の中でデカダンに陥るしか生きていけない太宰自身の姿を映し出すようにいして書いているだけである。 谷崎氏にとって戦後のチマチマした家族、 敗戦とともに家長を中心にした家族制度が崩れ、家庭が夫婦単位の核家族化された形が生まれ今日に至っているのだが・・・などを描くことは彼の美意識にとってはとうてい耐えられないことであったとも言える。 だがしかし、ロシアにはチェーホフの「桜の園」で見事に崩壊していく貴族階級というのの美意識を作品化している先例もある。 そのあたりの視点の狭さが谷崎氏を漱石などと比較して後世でも評価する人が少ない遠因であろうと思われる。 つまり時代と言う制約を突き抜けて、あるいは美意識だけでなくて、もちろん美意識も含めてだが、日本人のあり方への核心へ迫る深い視点を持ち得なかったということなのであろうと思う。