特攻 やましき沈黙

 たまたま昨日NHKスペシャル、日本海軍400時間の証言 第二回 「特攻 やましき沈黙」という番組を見た。

 NHKのその番組紹介http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.htmlから・・・
 ちなみに第一回目は
 ≪太平洋戦争の開戦の鍵を握った大日本帝国海軍・軍令部。 全ての基本作戦の立案・指導にあたり、絶大な権力を持った『軍令部』の実態は、資料が殆どなくこれまで闇に包まれていた。
海軍反省会」。戦後35年が経過した昭和55年から11年間、海軍の中枢・『軍令部』のメンバーが中心となって秘密に集まっていた会合である。70〜80代になっていた彼らは、生存中は絶対非公開を条件に、開戦に至る経緯、その裏で行った政界・皇族・陸軍などへの働きかけなどを400時間にわたって仲間内で語っていた。戦争を避けるべきだと考えながら、組織に生きる人間として「戦争回避」とは言いだせなくなっていく空気までも生々しく伝えている。
太平洋戦争で亡くなった日本人はおよそ300万人。アジアでは更に多くの人命が失われた。 当時の日本のエリートたちはなぜ開戦を決意したのか。≫
 第二回目は
 ≪人の体を兵器代わりにして体当たりする”特攻作戦”。これまで現場将兵の熱意から始まったとだけ伝えられてきた。しかし、海軍反省会のテープは、「神風特別攻撃隊」の一年以上前から『軍令部』が現場の熱意とは別に、組織的に計画、特攻兵器を作り続けてきたことを赤裸々に語る。さらに『軍令部』の元参謀は「特攻」はあってはならない作戦と自覚しながらも、その計画を推進してきたことを証言する。
 海軍から始まり、陸軍にも広がっていった「特攻」で亡くなった将兵は5千人以上。そのほとんどは20代の若者たちだった。
過ちと分かりながらなぜ当事者は「特攻」を推し進めていったのか。反省会の議論から「特攻」を生んだ組織の姿を浮き彫りにする≫

 軍令部は「統帥権の独立」を拡大解釈して、真珠湾攻撃などの作戦を立案して勝手に戦争を準備した。 しかし、その後のミッドウエー海戦の大敗北で主力軍艦を失ない、日本海軍はその後の戦いでほぼ勝ち目がなってしまった。 そこで苦し紛れに神風特攻隊を作戦に組み込み編成したのである。
 しかし、まさにエリート中のエリート、日本のベスト・アンド・ブライテストである軍令部の生き残り連中は、軍令部は特攻を作戦化したことはない、と反省会で言い張った。 その実それが始まる前から軍令部は人間魚雷回天特攻機桜花などの特攻兵器の開発を密かに行っていた。 そのことを現場の海軍士官から指摘されると、それに応答出来る者は誰もいなかった。
 そんな番組展開を見ながら、たしかこれに似たような場面がつい最近もあったよなぁ、と思い出していた。 裁判の中で沖縄戦で当時の日本軍を指揮した司令官が、沖縄住民に軍が自死を強要したことはない、と声高に発言していた。 その辺のことは文書も何も残っていないことだから何とも言えなくて水掛け論になるのだが、少なくとも日本軍が駐留しなかった島では住民の自死は一件もなかったという事実があるのである。 旧日本軍も現在の自衛隊も国民を守ることを第一として任務に当たっている。 だが、その軍隊が目の前で負け戦になると守るべき住民を盾にしたり、踏み台にするのを当時の沖縄県民は嫌というほど見せつけられてきている過去があるのだ。

 日本海軍は国民の事や自軍の兵士のことを真摯に考えればミッドウェー海戦の大敗北を期にして早期降伏を討議するべきだった。 海軍軍令部は特攻などという無茶な作戦を立案し、結果的に国民を東京をはじめ各都市の空襲や沖縄戦、広島、長崎への原爆と国民的悲劇に巻き込んでしまった。 当時の海軍のベスト・アンド・ブライテストたちの中にはそれを言い出す勇気がある人が一人もいなかった。 それを番組では<やましき沈黙>などと表現していたが・・・ しかしながら、驚ろいたのは今もなお指導した自分達の責任を自覚して生きている人間が軍令部の生き残りの中には一人もいない事実を見せ付けられたとこだ。 それだけではなくて、彼らは志願して突撃していったのだ、現場が勝手に暴走してのでありすべては責任は現場であると言い逃れていることだ。 これでは5000人の特攻隊員の御霊は靖国にどんなに手厚く葬られようと決して浮かばれることはないだろう。