日蝕を体験する

 日蝕を体験した。
 たしか小学校三年生ぐらいだったと思う。 黒い下敷きやあらかじめロウソクの煤を付けた黒いガラス板などを持って全校生徒がグランドへ出て日蝕の太陽を観察した記憶がある。 とにかく普段とは違うお祭り騒ぎのような授業だった。 その時、はたして欠けた太陽が見えたのかどうか覚えていないが、普段とは違うにぎやかな体験をしたなぁというふうな記憶が残っている。
 2009・7・22の今日の日蝕は神戸で8割がたの部分日蝕が見える予定であったが、残念ながらお天気は曇りで月によって蝕を受ける太陽の様子は見れなかった。 太陽の様子は見れなかったが、日蝕を直に身体で体験することが出来た。
 部分日蝕の最大の蝕は11時5分前後だったのだが、マンションの部屋の中にいたのだが10時過ぎあたりから何となくあたりが異様な感じになってきていた。 その異様さを感じたのは耳からだった。 それまでとは違ってあたりがシーンとして静かなのである。 うるさく鳴いていたセミの鳴き声がしない。 最近は関西でもクマゼミのウルサイ鳴き声がしているのだがそれが聴こえない。 おまけに鳥たちの鳴き声もしない。 マンション内へ配達などで入ってくる車のエンジンの音が時々うるさいくらいである。 耳を澄ますと遠くから時々電車の走る音らしきものが聴こえて来る。 夜などあたりが静まった時、遠くから電車の音が聴こえる事はあるが、昼の日中に電車の音が聞こえるのは珍しい。 マンションを管理している会社から派遣されてくる掃除人が通路を掃くシャツシャツという箒の音が異様に大きな音となって聴こえて来る。 それくらいあたりは静まりかえっている。 10時半を過ぎる頃になるとだんだん肌寒くなってきた。 時々窓を通って部屋の中まで吹いて来る風が冷たい。 おまけにあたりも少し暗くなってきていた。 曇り空なのに少しずつ暗さが増してきている感じがよく分かる。 11時過ぎ、瞑想するように目を閉じてソファーに座りながら身体の感覚をまわりに対して全開していた。 言葉では言い表しにくいが身体は何か禍々しい異様な感覚を感じ取っていた。 その禍々しい感じが徐々に徐々に薄れていくのも感じ取れた。 なんだかそれまでの緊張がフット解けた時の感覚である。 あたりも少しずつ明るくなってきていて、それと共に気温が上がるはじめるのも直に体感できた。 しばらくして緊張が解けたのでテレビを点けると、硫黄島や観測船上からの皆既日蝕の実況中継中だった。 それにしても送られて来る映像だけを目で見ながらスタジオで、すごい、すばらしい、などという言葉を連発している人たちが憐れに見えてきて、画面を消してしまった。
 お昼過ぎに下の階から上がってきた嫁さんが、アッチャンがようやくマトモな感じになってきたわ、オフの言うようにやっぱり日蝕せいだったのかしら、と笑いながら言っていた。 昨夜、病院で泊って朝かえってきた嫁さんが午前中、なんだかアッチャンがおかしいのよ、と言っていた。 なんだかボンヤリしていて何を聞いてもマトモに返事もしないのよ、と心配していた。 今日は日蝕で、特別な日だからだよ、と真面目な顔をして答えると、おかしなことを言わないでよ、と言っていた。 
 統合失調症なを患っている人たちの多くは時々幻聴を聞いたり、幻覚を見たりする。 この幻聴などを聴くということは右脳が働いている証拠である事が分かって来ている。 今月の初めの茂木健一郎氏のブログに中国へ出かけて、ワン・イーカイ君のリハビリテーションや、前頭葉を中心とする脳機能のテストに立ち会った、という話が載っている。 ワン・イーカイ君は 事故を起こして右脳のかなりの部分を失いながら、10ヶ月の昏睡状態の後に奇跡的に回復し、現在大学に通っていると言うことである。 このように現代人は右脳の大部分を失っても普通に日常生活を送れるのである。 と言うことは、たいがいの現代人は左脳を使って意識したり、考えたり行動したりしているからである。 かって神々の声などを聴こえていてそれに従って生きていた人類は、主として右脳部分を使って生きていたのだと言われている。 現代人がたとえその左脳を何らかの原因で失っても、まだその年齢が若年であれば右脳が左脳の代替をして生きていくらしい。 だが、ある程度年を経てそうなった場合は代替は無理で、右脳を使って統合失調症状態で生きていかざるを得ないことが分かっている。 何故人の脳がかって働いていた右脳から左脳に働きが移ったのか、それはまだまだ分かっていない。