高齢化時代の先行き

 先週末より嫁さんの母親が軽い脳梗塞で入院している。 今のところ身体症状として麻痺とか出ているわけではないが、7度台の微熱が下がらないようだし、食事も進まない。 母親は認知症もあって、訳も分からない状態のまま夜中に点滴の針を抜いたりするので夜具や寝巻きが血で汚れたりする。 そこで嫁さんは午後から翌日の朝まで母親の付き添いして病院で寝泊りしている。
 ここ(マンション)にいる時も嫁さんは、一日の内ほとんどの時間は下の階で両親と兄達の家事や介護をしていた。 夜に彼女後横で寝ていないぐらいで、オフの生活はそれによって変ったという事はない。 かえって時々上がってきて息抜きに愚痴を言うのを聴くために、読書や映画を見ているのを中断して、聞き役に回らないで済むだけ気が楽だといないこともない(笑)

 カウンセリングルーム:Es Discoveryというブログhttp://charm.at.webry.info/200905/article_11.htmlの中で、吉本隆明氏の「超恋愛論」という本を取り上げて
 ≪本書の中で何回か『「飯の支度をどちらがするか」というような問題を抜きにしては恋愛は語れない』という生活の必要性に根ざした現実を突きつけているが、女性に身の回りの世話をしてもらい優しく母性的に接して欲しいという意味では『ほとんどすべての男の本音は明治時代と変わっていない』という辛辣なメッセージも出している。現代では確かに、炊事・洗濯・掃除が好きな男性は増加傾向にあるが、それでもやはり過半数の男性はそういった家事全般に余り興味関心がないし、発達段階の殆どにおいて母親に家事を依拠してきていることもあり『家事の面倒』を厭うところがある。≫ などと書いてあった。
 
 話は戻るが、嫁さんの母親が入院している病室は四人部屋で、他の患者三人も脳梗塞の患者らしい上に全員軽い認知症状態だという。
 昨日は海の日で三連休だったのでその間患者さんにそれぞれお見舞いの人が訪れたと言う。 その内の一人の患者さんは、大きな声で 「楠本*子を呼んでください」 と突然日に何度も叫んでいるらしいが、昨日どうやらその名前の人はその患者さんの嫁に行った娘だということが分かったという。 昨日その娘さんが見舞いに来た後は、その名前の連呼は一度もなかったので何となく分かったのだという。
 また別の患者さんの夫らしい人も見舞いに来たのだが、携帯用の酸素ボンベを手押ししながら、杖を付いてやっとやっと歩いて来たという。
 あんな現場を見ると、高齢化時代の先行きは生易しいものではないわねぇ、と嫁さんは今朝帰って来て語っていた。
 それを聞いて、俺も後数年の余命と申し渡されているのだが、それがはたして悪いことなのか、良いことなのか・・・考えてしまうなぁ、と言って笑うと、嫌よ、そんなことを言わないで長生きするのよ、とすかさず返って来るのだが・・・