半分経過

 今日で退院してから三ヶ月が経ったことになる。 医師の話では、退院してもまだまだこの間使った強い薬のいろいろな副作用が残ります。 少なくとも半年間から今年一杯あたりまで療養期間と考えて、自宅で自重しながら養生してください、との話であった。 それにしてもとりあえず半分ぐらいは大過なくすぎたことになる。 頭から上半身にかけて出ていた吹き出物は薬を塗ることで発疹も痒みも治まってきた。 だが、再び左目が痛くなり右目共々目のまわりが真っ赤に腫れ上がってきた。 再びレスキュウー用に出ている抗生剤を飲み、眼科で貰った薬を目に塗って少し治まってきた。 

 嫁さんの認知症の母親が食事中に手にしていたカップを落とした。 たまたま見ていなかったのでウッカリしていて落としたのかと思ったらしいが、なんだか目の焦点が合っていなくてボンヤリしている。 お母さん手を握ってみて、と言うが手の握力も弱かったので、嫁さんは脳梗塞を起していると判断して119へ電話を入れて救急車を呼んだ。 母親は救急車が来て病院へ運ばれていった。 脳梗塞したのはある程度しょうがなかったと思うが、医療経験者としての手早い判断がよかったと思う。 駆けつけた救急隊員に嫁さんが脳梗塞ではないか、と言ったのだが、どうやらそれを駆けつけた救急隊員はそれを疑ったらしい。 と言うのも救急隊員が来た時には、母親の意識のトビも治まっていたし軽い握力も戻っていたからである。 とくに三人の内の年上のリーダー格の男が特にそれを疑っていたようだ。 オフは彼らとほんのしばらくの対応の間だけだったが、救急隊員にしてはよく喋り、どこか態度に親切そうなのだが必要以上に押し付けがましいところが見られた。 他の年若の二人の隊員は終始無言で、そんな先輩格に対して何も言わなかった。 その男は病院へ着いてからも、連れてくるほどの事だったかどうか、と病院に対して自分の疑問を述べ立てていたと言う。 その後病院での緊急のMR検査の結果いくつかの軽い脳梗塞が見つかって、母親は昨日入院となった。

 またまた、今日も内田樹氏のブログhttp://blog.tatsuru.com/からの引用であるが。
 ≪日本ではせいぜい「滅私奉公」である。しかし、滅ぼさないと生き延びようとじたばたするような「私」があるうちはリーダーとは言われない。
 その代わりに、わが国では、「リーダー抜きでも機能する組織」を創り上げた。公人たちがみんなで私利私欲・地域エゴ・省益・業界益を追求していても、それらが相殺し合って、「おとしどころ」がなんとなく見つかる・・・という世界に類例を見ないリファインされた制度を作り出した。なにしろ総理大臣が次々と政権を放り出しても、別に誰も文句を言わないし、政府機能に特段の支障が出ないような国なのである。政治的業績のほとんどない知事が総裁になりたいと言い出しても、政権与党が「まじめに検討」するくらいに「リーダーなんか誰でもいい」という了解は広くゆきわたっているのである。≫
 まさに内田氏の言う通りであるのだが、たまたま流れでリーダーとなったのだが、自分が特別の有用な人間であるからリーダーになったのだと勘違いしている人々が、まだまだこの国には大勢いる。 どうも国や県のトップそのものがそのような見本を示しているから、下々の司に至っては推して計るべきなのだろうと思われる。