スランプ?

 今週の水曜日はアッチャンの精神科の受診日だったが、嫌がっていたが妹である嫁さんも一緒に出かけていった。 受診の結果幻聴に対する薬が処方されたのだが、最近ではそのような対症療法の薬があるのだとはじめて知った。 その薬を飲んだ初日目はおとなしかったと言うが、二日目はまたイライラしたのか大声で怒鳴ったりすることがあった。 向精神薬は効果が出るのは少し時間がかかるのが一般的だから、もう少し様子を見ることになるだろう。 
 木曜日の日オフは皮膚科を受診したきた。 皮膚科は初めての受診だったが医師はまだ若く三十歳代ぐらいであったが、終始カルテばかりを読んでいて一応こちらの言うことには返事をしているのだが、実際はあまり聴いていない。 カルテを読んで最後に頭を上げて「移植をしたのですね」と聞く。 そんなこことはこちらが最初に説明しているだろうが・・・と思ったが 「そうです」と答えた。 痒み止めとして皮膚用にステロイド入りの軟膏と、頭部に塗るローションが出た。 大した受診でもなかったが、普段家の中にばかりいるので今日のように人の多いところへ出掛けると思いのほか疲れる。 さほど歩いてないのに帰りには実際に足取りまでが重かった。  

 体調の方はさほど悪いことはないが、ブログを書くことにどこか気乗りしないでいる。 湿度の高い蒸し暑い日が続いてい入るせいであるのかなぁ・・・とにかく気持ちがブログに向わない日々が続いている。 ボンヤリとケーブルテレビで映画を見て時間を過ごしていることが多い。

 「現代思想のパーフォマンス」という題名の構造主義のアンソロジーというか、構造主義の解説書を読んでいるのだが、その中一人のクロード・レヴィ・ストロースの有名な男の子の父親と母方の叔父との関係の問題が取り上げられている。
 つまり、父親とその息子の関係が厳格な場合は母方の叔父と甥の関係は親密で融和的なものになる・・・という関係があるというのは論としては分かるのだが、これまで何度かこの問題を読んでいるのだが、どうしても個人的な経験から見てしまうと納得が出来ないなぁと思ってしまう。 もちろんこの問題を個別に取り上げて考えては問題が見えてこないことは理解できるが・・・やはりどこか引っ掛かってしまうのである。 戦後の日本では日本としての社会構造自体が崩れてしまってバラバラになってしまったと考えるべきなのか。そこのところがもう一つよく分からない。 ただ日本が強固なマザコン社会だと言うことだけは変わっていないだろうとおもえる。
 もちろん人間が社会構造を作り上げてきたと考えられてきたが、ストロ−スが言うように社会構造が人間という概念を作り出してきたのであり、われわれが人間性と呼んでいるものが本質的に社会システムの要請する機能に他ならないというのは、まさにその通りなのだが・・・。