須磨海岸

 左目のまぶたに発疹が出来ているので朝晩に眼科から貰った抗生剤入りの軟膏を塗っている。 眼の中に入っても大丈夫な薬だということだが、塗るとまぶたを開け閉めするたびにネチャネチャするし、視界もボンヤリしてしまう。 そうなると本を読んでいてもすぐ疲れて嫌になってしまう。 発疹が出ているのはまぶたにだけではなくて頭や首筋などなどで痒い。 来週皮膚科の受診があるのだが、おそらくそこでまた軟膏が出るのだろうと思う。 主治医の話では、抗がん剤と併用して使ったステロイドホルモン剤の副作用が考えられる、という事である。 
 梅雨の中休みである。 午後から手持ち無沙汰で散歩に出掛けることにした。 西側にコースをとってグリーンハイツから一の谷へ下りて国道2号を渡り、さらにJRの踏み切りも渡り須磨の海岸へ抜けた。 須磨海岸へ下りて来たのは本当に久しぶりで、じつに三年ぶりぐらいかもしれない。 海岸へ下りたところで足がガクガクだし疲れて歩けない、防波堤に座ってしばらく休憩をする。
 下りたところには地元の漁協に建物があり東のヨットハーバーから数キロ続いていた須磨の海岸線は一応そこで終了している。 一帯は海岸線のはずれだがそこにも数組の気の早い海水浴客がいて、砂浜にシートを敷いてその上で寝そべっている。 ここの海岸はドン深で10メートルも行かない先ではもう大人の背が立たないくらい深い。 そんな海面をボンヤリ見ていたらボラが一匹海面を跳ねた。 それを期に腰を上げて海岸線沿いに歩き出す。 7月にはいると建設が許可されるのだろうか、須磨駅周辺では一斉に海の家の建築の真っ最中である。 そこで働いているのは若い人ばかりで、中でも女の子などは目のやり場に困るほどの超ビキニ姿である。 須磨駅を少し過ぎたあたりに千守(ちもり)の交差点があり、そこから登っていく道があってその先が月の名所の須磨寺である。 その途中を曲がって登っていく桜道というのがある。 その道をゆっくり登ると20分ぐらいかかるが、その突き当りにマンションがある。 マンションに着く前あたりから雨が落ちてきたので、最後は少し急いだせいかヘトヘトになった。 まだまだ体力は以前の半分ぐらいだろうか? それともこれが今の自分に相応なのだろうか?
 内田樹氏がファイティングキッズで以下のように書いていた。
 ≪40代にはいったころ、(厄年のころですね)二度ほど大病をして、体力ががくんと落ちたことがありました。
 そのとき、二十歳くらいのときのわが「絶好調」のときの心身の状態をいわば「達成すべきパーフェクトな状態」というふうに考えていて、それと比べて四十路のわが身の情けなさよ・・・というふうにかなりネガティヴな発想をしたことがあります。 でも「達成すべき健康な状態」と現状の差をマイナスカウントして、なんとかそこに「キャッチアップ」しようとがんばるっていう発想そのものが間違っているんですよね。 どう考えても、四十過ぎてから二十歳の体調を「達成すべき理想」に設定するということ自体に無理があります。 視力も衰えるし、歯もがたがたになるし、足腰のバネも利かなくなるし、お酒も弱くなるし。 それは「それ」ですよ。やっぱり。 それを「治そう」としたら、それこそサイボーグ化するしかありません。
 人間の身体のシステムというのは、自然にそうなっているわけですから、老いるということは、天然自然の理にかなっていることなんです。 老いてはじめて経験できるものがあり、病んではじめてわかる愉悦があり、死が近づくことではじめて発見される美しさがある。 そういうふうに考え方を切り替えたら、なんだか気分が楽になりました。≫