メロドラマ

 昨日、今日と蒸し暑い日が続いている。 そんな中村上春樹の小説「1Q84」を読んでいる。 先日内田樹氏がブログで「1Q84読書中」というタイトルで日記を書いていた。 その出だしで ≪もったいないのでちびちび読んでいる。私はひたすら「ゆっくり」読んでいるので、今Book2の中程である。あと4分の1しか残っていない≫と書いてあったが、オフも今ちょうどBOOK2の半分ほどまで読んだところだ。 同じくように残りは明日少しずつ読もう、と本を閉じてしまった。
 さらに内田氏は書いている  ≪『1Q84』はまだ4分の1残っている。 私の予感では、この物語は終盤に至って「強い物語による記憶の改変」というこの論考の主題に漸近線的に近づいてゆくのではないかと思う≫
 今のところこの見解はオフは少し違うと思う。 ストーリィだけでいえばオウム事件をモチーフにしているが、基本的にこれは上手く作られたメロドラマであると思う。 今時、マトモな作家はメロドラマなどは気恥ずかしくてなかなか書く気になれないだろうが、人々は相も変わらず運命に翻弄される人間、そのようなものを物語の中に求めていることに変りないのだろうと思う。 まだ読み終えていないが、そのような気がだんだん強くなっている。

 宅配便で荷物が送られてきた。 差出人の名前は上の息子からとなっている。 オフの息子がそんな気の利いたことをするはずはない。 息子の嫁さんが父の日だと気を利かせて贈ってきたのだろう。 何となく少し戸惑ってしまう。
 世の中には、老とか母とか、父とか・・・家族に関するいろんな日が決められている。 その他にも七五三とか、成人とかいろいろあるが、オフはそのような祝いを意識的に避けて来た。 そのようにお祝いすることは悪いこととは思わないのだがそれをしてこなかった。 大した理由はないのだが、あえて言えば皆が揃ってそうするものだ、と言うことが嫌いなだけだったと思う。 それを嫌いになった理由はあるような、ないような・・・オフを育ててくれた祖父母もそういうことを一切しない人達であった。 どちらかと言えば子供心にもそれがつまらなくて物足りなくもあったが、彼らに向ってそれを言い出すようなことはしなかった。 ところがある時期から急に祖父母達はそれを言い出すようになった。  オフの子供が生まれた頃からであるが・・・。 その態度の急変がどこかうそ臭く感じて、そのようなこと一切が極端にうそ臭くて嫌いになった、と言えるような気がする。