「パリ・テキサス」

 新型インフルエンザ騒ぎが広がっている。 とくにここ神戸では渡航歴がない高校生が発病したというので騒がれている。 一昨日依頼咽喉が痛かったが今日はそれも治まって来ている。 とにかく人との接触を出来るだけ減らすと言うのが第一の予防ということになるのだろう。 明日はたまたま月イチの受診日なのでがんセンターへどうしても出かけなければならない。  
 今日昼のケーブルテレビでビム・ベンダース監督の「パリ・テキサス」を観た。 丁度お昼を食べる時に掛かっていたので昼飯は2時にズレてしまった。 この作品を観るのはたしかこれで三度目であるが、これまで最後までキチンと観ていなかったような気もする。 というのは最後の場面が今日はとくに強烈に残った。 この映画を観るたびに思い出す友達がいる。 学生時代の友人で彼は京都に住んでいるのだが、理由はあるようなないようなことで、ここ数年は何となくお互いの連絡も途絶えてしまっている。 ガンに罹患した時も連絡しようかどうか迷ったのだが、結局連絡はしなかった。 この友人の奥さんは統合失調症になり二人は合意の下離婚し、友人は父子家庭で二人の子供を育てた。 それがさらに大変なことだったのは、下の女の子が知的障害児であったことだ。
 「パリ・テキサス」では、男が最後で語るのだが、女を愛した結果女に対して激しく嫉妬するようになり、それが因で二人の仲が上手く行かなくなり男は放浪し、女は風俗の店で働くという結果になってしまった。 もちろんそれだけでははない・・・そんなことはたんに一つの現れであり、人の人生はそんな単純なものではないだろう。 もともと男は偏執狂的なところがあり、一つに観念に取り付かれるとそれに頭を占められてしまうような資質をもともと持っていたこともある。 オフの友人は映画の主人公とこの点で似ていると思うのである。 具体的に言えば学生時代に彼が関わった学生運動のことを彼は後々までズット引きずっていて、それは連絡が途絶えた今も変わっていないだろうと思う。 そんなこともあって彼は変わらないのだが、変わらないことで時代に取り残されてしまっていると言うこともできる。 しかしそれを簡単に笑うことは出来ないし、とくにオフはそれをけっして笑えない。 ここで少しカッコ付けた言い方をすれば、彼のオフを見詰める視線がどこかでオフを支えている・・・と言うか彼の視線があってこそ、自分で自分に恥じるようなことを決して出来ないという事になるのであるが・・・。