良き時代

 今日で4月も終わりで、明日からは風薫る五月である。 退院して約二週間過ぎたことになったが、昨日風呂上りに体重計に乗ってみた。 58・5キロ、ウ〜ン退院時より1・5キロ増えたことになる。 このままで行けば1とヵ月後には何とか60キロ台にに乗っているだろうか。 それを目安に目一杯食べるつもりである。 今日の夕食は蛸飯である。 一昨日魚の棚でやや大きめの蛸の足二本800円也が売っていたので買ってきた。 さっそく茹でて、酒と味醂と醤油に溶け込んで置いたが、アララシマッタ!味醂?を使ってしまった!たしか味醂は身を締めるので蛸とか烏賊の煮物にはご法度だったのだはずだった。
 三日前の夜、同じ敷地内のマンションに住む嫁さんの上のお兄さんが用があって訪ねてきた。 玄関で二人で事故のことを話していたので、オフが出て行って中へ入ってもらった。 その時、長い間ご苦労様でした、と言ったオフのツルツルに禿げ上がったスキンヘッドの頭を見てエ〜エッという目をしていた。 嫁さんの上に兄はオフと同じ年で、先週末で会社を退職したばかりである。 本当はすでに2年前に退職しているのだが、嘱託という形だが一年契約で二年退職が延長されていたのだ。 本格的に厚生年金が貰えるようになるのは二年後だから、あと一年は何処かで仕事を見つけるつもりらしいが、こんな時期だからなかなか難しいらしい。 嫁さんの兄の奥さんは一昨年子宮ガンが再発して亡くなっている。 その三回忌が先日あったばかりだが、オフたち夫婦は両親の世話があるのとオフの入院で出席しなかった。 

 嫁さんの上のお兄さんは同じ団塊の世代のトップバッター組みなのだが、オフとは違い何と言うか同世代の大多数が歩んだのと大体同じコースを歩んだ一人である。 当初一流大学を目指しのだろうが一応地元の私立大の社会学部へ入った。 就職も一流会社に入りたかったのだろうが一応頭に三菱という名前がついているが、三菱商事系の事務機の販売会社へ入ってそこの営業畑を歩んだ。 途中会社の上司が始めた東芝系のオフコンの販売会社に誘われそこへ移ったのだが、その小さな会社は肌が合わず二、三年で辞めた。 次に三菱電機系のオフコンの販売会社へ移り、営業→コールセンター→倉庫と部署を変わり退職。 その間子供女の子が二人生まれ、長女は私立の宗教系の中高一貫校→地元文系私立大卒→結婚。 次女は少し遠くの県立の理系高校(女子寮付き)→地元理系私立大卒。 現在住んでいる中古マンションの購入。 子供たちの教育費と住居の購入、奥さんの長年のガンの治療費などで現在蓄えはほぼ無いに等しいくらいということだ。 彼は奥さんの死亡以外はほぼ高度成長期をひた走った我らの世代のランナーの一人で、まさに我らの時代の典型的人生とも言える。 そして今、その一昔前の高度成長時代を良かったなぁと人々は回顧するのだが、果たして本当にそうだった、と言えるのだろうか?