男と女

 今日は外来受診の日で、午後からがんセンターへ行く。 採血の結果白血球が6000と標準値内に入っていたが、赤血球、ヘモグロビン、血小板はまだ値が少し低い。 一応今日で治療は終了にします、と医師から言われ後は月イチで定期健診に通うことになった。 最近夜布団に入って横になるとイライラすることが多く、そんな場合ソファーに腰掛けていると少しマシで、立ったり歩いたりすると治まると言うおかしな症状が続いていたので、それについて相談する。 医師が言うには、痛み止めに使っていた麻薬テープを止めたことが関係しているかもしれないと言われる。 半年間以上もの期間痛み止めの麻薬を使っていたので、いつの間にかそれへの依存症になってしまっていて、現在その後遺症が出ているのだと言われると何となく納得できる。 軽い安定剤であるデパスが処方された。

 また今日も昨日に引き続き息子ネタであるが、息子よごめんなさい。 じつは先日下の息子はせっかく昨年知り合った彼女とお別れをしてしまった。 それにはいろいろ訳があるみたいだが、その一つに昨日書いたように仕事が忙し過ぎたというのもあったみたいである。 なにせ金曜の夜は徹夜して、会社で仮眠を取って土曜日も一日働いて、さすがに日曜日は草臥れ果ててアパートへ眠りに帰る、と言うのが毎週のスケジュールだったらしい。 彼女との別れのことよりも、働きすぎで過労死や衝動的な自殺を心配したくなるほどである。 新しい彼女を見つけるのが一番だ、忙しければ忙しいほど帰りたくなるような、その膝元へ帰るとホッと出来る相手が必要だよ、と電話でオフは息子に話していた。 その話の流れで、そんな相手はなかなかいないと思いがちだが、そうではなくて案外居るもので10人中6、7人は何とかなるもんなんだよ、と言った。 ところがその時までソファーで眠っていたと思っていた嫁さんがそれを聞いてガバッと起き出して、何を言っているの、今まであなたが言っていたこととまったく違うじゃないの・・・と怒っている。 しばらくして電話を切った後、嫁さんは一気に これはと思う、自分に合った相手と言うものはめったに居るもんではなくて、そんな相手にめぐり合えるということほど幸せなことはない、と言うのがこれまでのオフの口癖だったのに・・・と一気にまくし立てる。 それはそうだったかもしれないが、じっは最近考えが変わってしまったのである、と言おうと思ったが、それを今言うと何倍も反論が返って来そうで、いやいやそうではないんだが、じっはムニャムニャ・・・とまるで浮気の魂胆がばれた時のウッディ・アレンのようなオドオド状態になる。
 君子は豹変する、と言うが、オフの考えが急に変わったのは、最近の内田樹氏のブログhttp://blog.tatsuru.com/の中の「学院標語と結婚の条件」を読んでからである。 しかし、その夜は嫁さんはそんな話題を変えようとしてもなかなかそれに乗ってこない・・・そこで最近考えが変わったんだよ、と白状すると、今度は、どうして変わったのよ、と鋭い追及となった。 そこで、仕方なしに内田氏のブログのことを話すと、そこの何が書いてあったのか今すぐ言いなさいよ、と一向に追求の手が緩まない。 ところが書いてあったことを思い出そうとするが10人中の6、7人の相手と上手く付き合って行けることが大切な結婚の条件である、と言う結論的なところをウロ覚えしているだけである。 アレン的にオドオドして言い訳を捜しているとますます疑いが増してくる。 そこで苦肉の策で、時々あなたも彼のブログを呼んでいるから内田さんは合気道をやっているのは知っているよね、と切り出した。 それは知っているわ、と答える。 合気道ももちろんそうだが、武術というものが最終的に目指すのは自らが強くなって相手と闘って勝ったり、相手を倒したりすることではなくて、向ってくる相手がいてもそれと闘わないこと、闘いを避けるというのを最終的な極意としている、と言うのがあの人の考えなんだよ。 それで・・・結婚にもそれと同じことが言えて、例外的に肌が合わない人は別としても、たいがいの人を受け入れることで自分も相手も変わることで成り立つもの、それが結婚である、と言うのがあの人の考えで・・・それを読んで、なるほどそうだなぁ、と思いそれを受け入れることにして考えが変わったんだよ、とかなりアワワな苦しい説明をした。 嫁さんはそれを聞いて、分かったような分からないような顔をしていたが、明日にでもそこを読んでみるわ、ということで何とかその場は落ち着いた。 ところが翌日、いち早く内田氏のブログを読んだが、オフの言った武術のことについてはそこには一言も書かれていない。 とりあえずその要旨だけ以下に記して置く。 
 ≪どのような相手と結婚しても、「それなりに幸福になれる」という高い適応能力は、生物的に言っても、社会的に言っても生き延びる上で必須の資質である。それを涵養せねばならない。「異性が10人いたらそのうちの3人とは『結婚できそう』と思える」のが成人の条件であり、「10人いたら5人とはオッケー」というのが「成熟した大人」であり、「10人いたら、7人はいけます」というのが「達人」である≫ 
 そうか、そうか、内田氏は<達人>という言葉を使っていたからだが・・・それって武術だけでなく意味がもう少し少し広いのだなぁ。
 ≪配偶者を選ぶとき、それが「正しい選択である」ことを今ここで証明してみせろと言われて答えられる人はどこにもいない。 それが「正しい選択」であったことは自分が現に幸福になることによってこれから証明するのである。 だから、「誰とでも結婚できる」というのは、言葉は浮ついているが、実際にはかなり複雑な人間的資質なのである。 それはこれまでの経験に裏づけられた「人を見る眼」を要求し、同時に、どのような条件下でも「私は幸福になってみせる」というゆるがぬ決断を要求する。 いまの人々がなかなか結婚できないのは、第一に自分の「人を見る眼」を自分自身が信用していないからであり、第二に「いまだ知られざる潜在可能性」が自分に蔵されていることを実は信じていないからである。 相手が信じられないから結婚できないのではなく、自分を信じていないから結婚できないのである≫  
 若者が結婚に踏み切れない、それは自分を信じていないからである・・・このメッセージこそ内田氏から今時の若者に向けられた静かな警告だったのだ。 後で嫁さんはそれを読んでどうやら、そんな考えもある、という風に取ってくれたようだ。
 それはそれとして・・・それにしてもオフは、というより一般的に男はだろうと思うが、現在あなたとこうして一緒に暮らしているじゃないか、その事実が二人のすべてじゃないか・・・と言いたいところがある。 そのことには言外に、たとえあなたが理想の女だなくても、僕はあなたを選んだのだからそれで良いじゃないか、十分じゃないか・・・というニューアンスが込められている。 だが女性の側から言わせると、どうやらそれだけでは必要条件を満たしても十分条件ではなくて、たとえどうであろうとあなたは私だけ、常に私はあなたにとってオンリーユーでなきゃダメよ、と恐ろしくもマジでそれを男に要求くるところがあるような気がするのだが・・・