親として・・・

 オフの二人の息子達は東京でそれぞれコンピューターのソフト会社システムエンジニアーとして働いている。 上の兄貴はたがいの人が名前を知っている大手企業、下の息子はオフが何回名前を聞いても覚えれない中堅のソフト会社。 最近電話してその下の息子が、仕事上のことで悩んでいることを知る。 具体的な仕事上の悩みについてはオフが訊いても皆目分からないので、先日上の息子に電話したついでにそのことで弟の相談にのるように話しておいた。 その結果というか、経過が上の息子は自分のブログに書いていたのでそれを一部転載する。
 ≪要約すると、任せられたプロジェクトが火を吹いていて、その責任が社内、社外的に弟に向けられているということだ。 周りの人たちが、次々と弟に責任を押し付けて、逃げ去り、結局弟ただひとり、火を吹いている真っ只中に取り残されているというのが、弟の話だ≫
 どうやら以上のようなことらしい。 さらに上の息子は続ける
 ≪弟は何年目だっけと、ふと思った。 僕も入社後、3年目か4年目に火を吹くプロジェクトのサブリーダーになっていたことがあった。 ふと気がつくと、リーダーがいなくなっていて、結局、自分が責任者のような形になっていた。そのころから、会社のために自分があるのではなくて、自分のために会社があるという風に考えるようになったし、会社のために頑張っているのではなくて、自分自身のために頑張っていると思うようになった。
そう考えるようになって、視野が開けた。 会社の利益を上げるため、納期に間に合わせるため、赤字にならないためにシステムを組むのではなくて、ただただ、顧客が満足する良いシステムを作ろうという意識に変わった。 僕は良いシステムを作るためのスキルを磨いているのだと考えるようになった。 次のプロジェクトからは、会社の利益とか、契約の範囲とか、システムの制限とか、全く考えないで、純粋に顧客とどんなシステムを作ったら良いのか、話をするようになった。 自社の製品に照らして出来ないとか、考えなくなった。 追加の開発が必要になるから、受けられないとかも考えなくなった。とにかく、何の制約も考えずにただ純粋に、お客の話を聞き、ただ純粋に良いシステムとは、どんなシステムなのかを考えるようにした≫
 オフはこれを読んでなるほどそういう事だったのかとある程度の納得ができた。 会社で働くと言うことは、当たり前かもしれないが自分のやりたい仕事を自分がやりたいようにすることではない。 オフ自身はすっかり忘れていたのだが、上の息子に何かの機会にそのことを例え話として以下のように語ったことがあった。 よほど印象深かったのかそのことを上の息子は今回もだし、これまでも何回か彼のブログの中で書いていた。
 ≪昔、父が、山の上まで石を持って行って、それを持って帰って来いと言われれば、無駄だと思っても山の上まで石を持って行って持って帰ってくる、それが仕事だといったことがある≫と書いている。 まさに不条理そのものといえるこのような仕事に対して、対抗的に息子が出した苦肉の結論は、今風に言えば <仕事は自分のスキルを磨いているのだと考えることで自分のなかのモチベーションを高めてこなしていく> ということのようである。
 これは数日前にも景気対策と銘打ってブログに書いたと思うが、
 ≪ただ現在の消費文化社会の中では、お金を稼いで、そのお金を消費する。 会社で働きお金を稼いできて、そのお金でモノやサービスを買う(交換する)ことである。 つまりお金を消費してこそ、楽しみや豊さが手に入るという仕組みである。 その消費の流れを阻止してしまうとたちまち経済はストップして、世は不況になりたちまち立ち行かなくなる・・・≫
 オフがまだ若かりし頃は、そんな社会の仕組みをぶち壊すんだ!立ち上がれ!と言う元気な輩もまだまだ身近にいた。 若いだけにそのような勢いのある言葉は妙に魅力的に響いたものであるが、オフはそんな連中とは少し違った位置にいた。 壊せないだろうが・・・、そのように思う自分は確かにニヒリズムかもしれないが、少なくともそのようなものを拒否しうる位置に立っていたい・・・と。 銃を拒否して掲げるのは花を・・・と当時生まれていたヒッピー達が言っていた。 しかし、ギターを引きニコニコしてヒッピーとして生きていこうとしても腹が減る、腹が減れば飯を食わねばならない・・・そして社会の中で飯を食って生きていくと言うことは、まして結婚し、子が産まれ育てていくということは、とりもなおさずそのシステムや管理に組み込まれて生きていかざるをえないと言うのが否応のない現実であった。 そんな心の経過の流れを経た中でつぶやいた当時の思いが、山の上まで重たい石を持って上がって・・・の言葉になっていったのだろうと思う。
 電話口で下の息子は今の気持ちは、東京を離れてどこか他所へ移って別のことをやりたい気持ちだよ、と語っていた。 誰でも会社勤めをしていると一年に何度かそれを思うことであると思う。 今悩んでいる下の息子に対して言うべき言葉は、一番苦しい今を乗り切れ、それが自信となって仕事に対してまた違う目で向き合うことになるだろうし、周りの人のお前への見方も変わってくる、と言うぐらいのことはオフも経験的に知っている。 ところがそれを息子に向って大人として物知り顔で言うのは、どこか心がスカスカしてむなしいような気もする。 かと言って、いっそドロップアウトしてニートにでもなったら、などとは間違ってでも言えない(笑) ただ、最終的な結論は下の息子自身が悩み抜いて出すことになるということだけは間違いない。 その時どのような結論を出そうとも息子はそれを機会に変わるだろうということだけだろう。 ルビコン川を渡ることは吉と出るか凶とでるか誰にも分からない。 だが、一般論として若いうちの苦労は買ってでもやるもんだ、などと気軽に言えるのだが 親としてわざわざ息子に苦労をすると分かることをなかなか勧めれるものではない。