退院

 今日朝の採血の結果もおおむね横ばいだったし、午後から全身レントゲンも終わって夕方目出度く退院となった。 待ちに待った退院だったが、イザそれが現実になった時はさほど嬉しいという実感はなくて、日々の中に組み込まれたごく当たり前の予定されたいた手順をこなしているという感じしかなかった。
 昨夜主治医との退院を前にしての面談があったが、嫁さんと娘も同席した。 データーを見せながら治療が一定以上の効果があった事を知らされた。 しかし普通並みの体力に戻るのは来年の正月ぐらいまでかかるだろうと思われるので、家庭でも十分注意して養生して下さいとのことである。 
 ここでいったん治療は終わりで、後は検査のため定期的に外来に来てもらい看ていきますと言うことである。 しかしこの病気の場合完治はなくて、再度の発病は避けられないことも付け加えられる。 それはネットなどで周知のことであって、驚きはしなかった。 問題はその期日期間である。 そのことに触れることなく話は終わりそうになったので、こちらから質問した。 ネットなどで調べると、一般的には平均三年、まれに長くて十年以上発病しない場合があると書いてある。 それもその個々人の年齢、病状、体力などで変わるので一概には言えないと書いてある。 これは言いにくいことかもしれませんが・・・これまでのいろんな患者やケースを見てこられている先生の私の場合についての忌憚のない見解を伺いたい。 とおもむろに訊いてみた。 その結果だけをここに記すと、担当医の見解は一応五年と言う返事だった。 この数字はオフが思っていたより二年長く、その分延びたことになる。 自分自身としてはどうと言うことはなかったが、横にいる嫁さんや娘がその数字をどう受け止めたか少し気がかりだった。 しかし嫁さんは長年の看護婦の経験があるし、先日このブログでオフが三年と書いているのを読んでいるし、冷静に受け止めているようだった。 娘の答えは、まだピンと来ない、ということだった。 まだ若いしさもありなんと言ったところだろう。
  先日娘がホウレンソウを買ったんだけど食べる?と訊くから、ホウレンソウはお浸しよりどちらかと言えば胡麻和えの方が好きだなぁ、と答えた。 胡麻和え? と、どうやら娘は胡麻和えを知らないらしい。 そこで、胡麻に醤油と砂糖を入れて混ぜて味を付けたものだよ。 店には胡麻は煎りゴマとスリ胡麻と切り胡麻というのが売っているから、買うならスリ胡麻か切り胡麻だが、切り胡麻が香りが良いのでベターだなぁ、と教える。 翌日娘は胡麻和えを造って持ってきた。 食べてビックリ少しも胡麻の味がしない、よく見ると粒のままの煎りゴマが入っている。 おい、これを食べてみろ、胡麻の味がするか?と言う。 話を訊くとスーパーには煎りゴマとスリ胡麻しか売っていなくて、切り胡麻を買うつもりで行ったから、どちらが良いのか分からなくなって煎りゴマを買ってきた、との返事である。 どうやら煎る、擦るの意味が分かっていないみたいので説明する。 翌日娘は、また今日も胡麻和えを持って来たよ、と言ってタッパーを取り出した。 今日のはスリ胡麻か切り胡麻を使ってあった。 ところがその翌日も、また胡麻和えを持って来たよ、と言ってタッパーを取り出した。 食べていると、今日の味はどう?と訊いてくる。 味は少し濃くなったかなぁと思ったが、もう胡麻和えは当分食べたくないよ、と答えると娘は笑っていた。
 古民家の再生の仕事をしていて、仕事の中で自分で考え抜いてかなり工夫をして、これはしてやったり!という仕事をすることがある。 ところが別の個所でだいたい自分がやったのと同じような仕事がしてある箇所を見つけて、ウゥゥ・・・!と唸ることがある。 人の考えることはたいして変わらないのものなのである。 よく座談会などで学者が伝統文化が失われてしまうことを危惧している、との発言をするのを耳にすることがある。 オフは古民家に関わってから、そんなことをわざわざ心配することはない、そんな事を考えるのは実際に仕事をしない人だけだと考えを改めるようになった。  基本的に人の考えることは時代を経てもそれが合理的なら、技術はたとえいったん無くなっても必要ならまた復活すると確信するようになったからである。 そんな頃、たまたまTVを見ていると、そんなたぐいの座談会の席で学者がそのような危惧を語り、それを受けてさも困った顔の司会者がパネラーの職人に、どうして伝統技術はなくなるんでしょうねぇ、と質問した。 その職人は、そりゃ、そんなような仕事が来なくなるからだよ、といとも簡単に答えた。 その答えを訊いてオフは一人大笑いをしたことがある。